シンジ 2012-12-30 17:18:57 |
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なるほど「己」とは必ずしも
悪くはない…かぁ!
そうだね!捨てろではなく
律する、慎みね。
シンジ(^_^;)深いわぁー!
お褒めの言葉ありがとう♪
まぁー私はあまり賢くは無いから
理解出来る範囲で
コメするよ。
賢さ云々なんぞあっても大したことないですぞ
油断すると、「賢い」はだいたいが「小賢しい・悪知恵」等と厄介な物に成りがちだからな。
「人生には浮き沈みがある」と言いますが、本当ですな~。最近しみじみ感じます>クッキー
人生の浮き沈みかぁ!
本当に人の人生それぞれ違うね。
本人が辛くないなら
他の人から見て不幸でも
それは不幸とは言わない!
他人の定規でその人の人生は
測れない。
浮き沈み?
私は沈んでもかならず
浮いて来ると思う。
不屈の精神(^_^;)
私は負けず嫌い。
善人でも悪人でもない
でも、欲深い!
そっか!(^_^;)
仕事を任されるという事は
認められてるんだから
頑張らないとね♪
まぁー無理しない程度にね!
ここはシンジのペースでカキして
たまに覗くからさ!
(⌒0⌒)/~~またね♪
己の可能性、おのれの神秘
己は悩ましい。此れが、人間を千差万別たらしめる。
自己性の有る人間程、常を異っし孤独である
しかし、そこに「異才・天才」はあるわけです
己(おのれ)とは、「歪んでいる」という意味がある
つまり、大なり小なり皆「歪み」がある。歪みは、或いは「個性」です
例えば
僕は頭脳明晰。なので医術を学び病む人々を救う。
俺は喧嘩が強く曲がった事が嫌い。警察官になり世の曲を矯正してやる!。
生物学は面白いな~。生物の生態系を研究して自然の緑化を実現してやる!大好きな生き物たちの為に!。
喧嘩が出来るんならその体は筋肉質であろう。1m以下の繊細な刃物の扱いは困難だと思います。医学には向かない
逆も然り
科学の研究なんて途方もない道のりだ。これは「好き」でないと無理です
これらは全て「自己」から発現しているのです
篤い人徳の罪
過ぎ足るわ及ばざるが如し。
人の貴い心さえも例外に漏れないと思う。
人は大切な存在の為なら、どんな事もする。
我が子を愛しむ母がそうですね。
「どんな犠牲もい問わない」という強さがありますね。
それは、貴い強さかもしれません。
しかし、「自然の法則」からしてみれば困った事なのだと思う。
大切なものを失う事は他(生物全体)にもいっぱいいる。そんな中、犠牲を払って抗い和を乱すのは、大自然の徳を害する。
大切な命を守ろうとする意思は貴い。しかし、それを人徳と言えても自然の大徳を害するならば、人徳を上回る不徳・罪と言えそうです
だから、人は時には冷静冷徹に心を鬼にする事も大切なのだと思います。
俺流の「鬼神」
「心を鬼にする」と解す
「時には非情になる」ということです
鬼神は論語にも出る言葉です。怪力乱心ではない。
此れは、「なんとなく」で全く根拠がない。
だから、後々この考えも改めるかもしれん
相の変化
俺はガキの頃から現在まで、その道のりは変化に富んだ道だ。
最近は特に厳しい仕事にも打ち込んで叩かれ鍛えられた。
そんな日々を続けて現れた変化が「耳」。
耳の相は3点で吉凶を判断する
形・色・硬さ
相学には要点があり「これよりは、これの方が大切」という優先注意点がある。
耳で言えば
硬さ>色>形
の順だ
形と言えば「福耳(耳たぶが大きい)」が有名。
だが、形が良くても硬さが無いと凶相。
このような見方がある。
俺の耳は兄貴と比べると軟らかくて、弱々しかった。
最近、1月前から俺の耳に変化があった。
触ってみたら少し硬くなっていた。
左耳から変化が顕著で右が少しずつ、今では形も変化している。色も良い
と言ってもほんの少しだが、大きな進歩だ。
大切な者のためなら
どんな事でも…それは分かる!
心を鬼にってどこまですれば
鬼になるのかな?
個人差はあるだろうが
どこまでなら他人にも許される?
大切な者のために冷静や冷徹には
私はなれないな!
だって大切な者のためなら
危機的状況なわけだよね?
そんな時にはやはり必死になり
焦るはずだから
非情にはなれない。
言ってる事は分かってる。
でも、いざとなると
鬼にはなりきれないよ。
確かに人の相は変わるね!
顔も手も耳もだ。
スゴい変化だよね(  ̄▽ ̄)
シンジが成長してる証拠だと思うよ。
大人になり良い男になっていってる
って事でしょ?
人は進化し続ける生き物だ♪
シンジ人して成長してるなんて
とても素敵な経験をしてるんだね♪
鬼神の心は難しい。
例えばですが、極論で申せば文明を捨てる。
この文明あって多くの人が救われたのは言うまでもない。
しかし、文明の開拓資源に崩された大自然の犠牲は大きい。
人が人の繁栄に邁進した、その為にあらゆるものを消費或いは犠牲にした。
だが、どれだけ文明が発展しても自然の恵み無くして我々はない。
この「自然」こそ人徳より大切な「大徳」に他ならない。
この徳の消費・犠牲は自分自身(人間)の首を絞めるような結果を招いてしまった。
文明を進歩させれば更に多くの人を救える。
とも限らない。此れが人類を滅ぼすような危険をはらんでいる。もしそうなれば人の未来は無い。この先、世代を重ね続け、新たに誕生するはずだった人もない。「その人達をも滅ぼした」と考えると、「文明は、此によって救った人の数よりも多くの人を消す」未来がある。
だから、幾らか文明を捨てて大徳と和し養う。目の前の「救えたかもしれない命を救わない」悲しい現実があっても、我失わない精神。正に冷徹冷酷、鬼神だ
難しい問題だ!
自然を破壊して築いた文明無くしては
現代人は生きられない。
だが、自然が大切な事も知っている。
地道に自然を取り戻す活動をする人達も
かと言って目の前の耐えゆく命を
見過ごすなど誰が出来よう?
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