シンジ 2012-12-30 17:18:57 |
通報 |
「為すと成るが分かれば命を知るというものだ」
この格言は誠に有難い
良いヒントになった
為すは行・活動である
成るは結果・造化(創造)です
目的(成す)があるから行動(為す)する
行動(為す)するから目的を「成す」
俺流で身近風に変換するとこうなる
人は創造意欲の発揮こそが1番の喜び
シンジ♪分かりやすい説明だね。
目的があるから行動する。
行動するから目的を成す
為すと、成すかぁ!
考え深いね(^_^;)
でも、時として目的もなく
行動する事も……
人間って不思議
だから人間って面白い!
おはよう御座います
m(_ _)m
クッキー姉さん!お目が高ーーーい!!
それは後で追究する予定だったのです。これが現代の大問題なのです
自殺者・疾患の精神発育の因果関係、ここに大きく起因
「目的もなく行動する」
悠久より続く厳然なる物
そこには有る!目に見えず感ぜずも
それは「偶然」気のせいだ
「占い」の事です
日常によくある他愛の無い話
当たったのは偶然?必然?
占いと言えば「中国四千年の歴史」
精練活用され続け今に至る
知るべきだ。現実を
現実は甘くない
義有らざれば眼も在らざらん
by俺
「義」とは、理由・目的という意味だ
眼とはとても大切な部分である
自然界の生き物を考えますと、深海生物や洞窟生物等、有った筈の眼がなくなっている生き物がいる
眼が無くなったのは、暗闇で使わない、在る必要・理由がないからだ
理由・必要性が無くなれば眼すら無くなる
人間界でも例外ではない
四千年・・・如何なる歴史があったか
流行り病や地震・凶作、国の内紛・戦争など生きるのに精一杯な時代は少なくない
だから不要な物などはその逆境の中で選別され、或いは忘れ去られる
四千年も絶えないのは「必然」だからだ
食うのに困っても必要だから手放さなかったのだ
「偶然」とは未熟で判らん奴の言葉なのだそうだ
だから、存在の否定より己の及ばない所を省すべきです
未熟で判らん奴?
つまり、未熟な人間ってこと?
未熟イコール完璧じゃない!
完璧な人間なんて居ない、
完璧じゃないから人間なんだよね?
完璧なら神になれると私は思う。
完璧じゃない方が人間らしいし
そんな人間くさい奴の方が楽しいから
私は好きだ。
しんじはどう思う?
いい問いですね
人間の熟成とは現実を受け入れる器量です
人間は知識で現実を知り実践で鍛練されるのですが、現実を許す・受け入れる、はまた別の話です
子供は食わず嫌いが多い。年を取ると嫌いだった物を許せるようになる
学者曰く「原始的本能が苦味を毒と認識するため」
達人曰く「人間の修養の深さ」
達人の言葉が正しい
人の心とは「円い」らしい
それが生きてく中で傷付いて角が出て歪んでゆく
「友達に裏切られて他人を信じられない」
悲しい事に少くない話です
頭で人付き合いは大事と解ってても気が向かない
こんな傷で本来の円は歪んでいく訳だ
これは極論ですが、ショックな経験のない人でも歪みはある
此れを修めるのが人間の熟成です
いくら熟練熟成しても、それだけでは、完璧なんてないです
どんなに出来た人でも1人の力なんてちっぽけなものです
だから神様はないです
孔子も尊敬する人物に堯(ギョウ)、舜(シュン)がいる
「己れを修めて以て天下万民を治めるということは、理想の天子と言われる堯・舜のよいな聖人でも病気になるほど苦しんだ」
神様なら人々を幸せにするもんだ
彼らは、とても偉大な存在だが、それを成すのに病気になるのだから、「神様」ではないでしょう
どんなに偉大でも1人はちっぽけです
人々を導いて全体が調和してこそ真にできた人間。
人は皆1人では生きていけない。この真実一つで完璧の理はない
愛とは
愛は命の一部、命に宿って命を養うものだ
命とは「変化して止まぬ物」だ
我々、自然の法則を鑑みても分かる
人間の成長
赤子→子供→青年→成人→老人
姿を変えていく物である
愛も然り。その形は変化する
赤子が母性の愛ですくすく育ち、家族愛を抱く。成人する頃自己の生命を育んで宿る愛は異性に想いを抱いて新たな自分の家庭を求める
学者の論文には子供の頃得た愛情が将来に大きく関係する内容が少くない
愛は生命とともに受け継がれて消える事はない
これを又は「永遠の愛」と言うべきか
シンジの言う通り
人間なんてちっぽけなものだ。
1人では生きて行けない。
1人じゃー喜びも半減するし
一緒に笑って喜んでくれる人が
居なきゃダメなんだよ。
悲しいや悩んでくれる人が居たら
少しは楽になったりもする。
人間は悲しい生き物
そして素晴らしい生き物だ!
本当に奥深いよね。
愛も奥深いものだね!
シンジの自然の法則で片付けて
しまったら簡単だけど
理屈じゃないんだよ。
愛はそんな簡単じゃない。
自分の気持ちもコントロール
出来ないほど
人を愛してしまう!
押さえきれない程に、
それは時として傷つけたり
あらぬ方向へと……
欲深いのに人間だ!
うん・・・ですな
悲しみが分かるのは素晴らしいことだ
師も「悲しみが分からんうちは本物じゃない」と仰る。
ガキの頃母に浅はかなことを言った「オカンが死んでも俺は泣かんな」
最近、還暦を迎えていよいよ衰えが顕著になるのを見て色々と考える
平均年齢まであと20年、「あと20年しかない」と思うと口内炎が出る程に悩んだ。とても悲しくて自分が惨めだ
辛いがこの自分は嫌ではない。「やっと自分はマトモになった」気がする
確かに悲しみが分からんようでは
話にならないよ。
人の傷みや辛さも
感じなれないのも考えものだと思う。
シンジ(*´ω`*)そっか!
すごい進歩だね。
感情が豊かになったとかと言うか
色々と日々進化してるのかもね。
「失って初めて分かる」
ベタな真理だ
黒を逆境と想定する
白を順境と想定する
さすれば特別優れた教学よりも、日常の些細な事に心傾ければ、より明らか
思い付く内容が本当に日常的な例なので話す気がせん「話す程の事ちゃう」
裕福な人は高級料理を食しても凛としている。貧乏人が此れを食せばその感激は並みにあらず
裕福さんは日頃から美味しい食生活だから高級であってもその日常と贅沢の差が少くない。貧乏人は時には不味い飯を食べるので贅沢がより目立つ
眼を持たぬ者、眼を失った者
眼を持たぬ者は「見えぬが常」ただ自分らしく生きるのみ。己の逆境を知らぬ。本当の順境水準を知らぬがため也
眼を失った者は順境の常を知っているが故に、己の生活力の低さが分かる。この「低さ」を逆境と知る
常、日頃の例とは言え、考えてみれば面白い
自殺願望とは
俺が思いまするに2通りある
自己の逃避
辛さ苦しさの逃避
である
自己の逃避
人には受け入れられない現実がある
「その現実の最大の拒絶の表現」それが自殺願望であろうと思う。その現実に触れたくない、遇いたくない、ガキの頃の俺の胸のシコリがそうでした
辛さ苦しさの逃避
これがもっともシンプルですね
最近の自殺者急増の原因は「借金苦」だそうです
「苦しみから今すぐ楽になりたい」此れが原因なのでしょうね
人生学問の戒め
「死とは?」と考えていた弟子たちを孔子が戒めた
「未だ生きる真理も分からんで何故死が解ろうか」
俺曰く
生きた先に死はある。それに至る、その道のりをまず知らねばな
順序を踏まんとならん
トピック検索 |