シンジ 2012-12-30 17:18:57 |
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孤独は人を強くする。
独りになることで、他人に気を回さずより自分と向き合える。
だから仲間が幾人いようと自己に孤独を持つ、私学を持つ。
シンジいつでも遊びにおいで
待ってるから!
私も結構1人が好きかな?
自分の時間って、とっても大事だよ。
向き合う事も出来るし
色々と考えたりするのに
良いよね。
俺は新聞を殆ど読まない。母は愛読者だ。母が新聞記事を読み聞かせてくれた。
過去に「ホームレス者の数は減っている」と言う話だったが、この記事によると、ホームレスの年齢層が若年化しているそうだ。
若くしてのホームレスは恥ずかしくて表に出ない「隠れホームレス」がいて、ホームレス者人数が本当に減ってるか分からん様だ。
若者の原因は「仕事が減っている」がある。これは可哀想だ。しかし、「人間関係が嫌で」でホームレスになる人もいるそうな。
どれだけ軟弱人間なのか?どれだけ不徳社会なのか?
この愚かしい世に我が子を貸し与えるのか?そんな悪習を我が子にあたえると言うのか?
現代よ、教育費だの教材費だのコストパフォーマンス?その結果がこの様とは・・・・
者共よ、「大切な我が子」ならば、この残酷な現実を無視してはならない。
教育とは「人間創り」だ。
今の学校が創る人間はこんな物ぞ。大変悪習愚劣だ。
我が子を下劣に仕上げたくば、学校に貸し与えるが悪(よ)い。者共ことごとく堕落するであろう。
それが嫌ならば、自らの手で創ろう。
その結果が馬鹿人間でも良いではないか、不器用でも良いではないか。
「性(い)きるを喜ぶ」は何よりも大切だ。「正しさを敬す」は貴い、これさえあれば良い。
此れを育てるのに能力は不要だ。だから難しいのか・・・。
ホームレスの若年化はテレビでも
何度かやってるのを見た。
不景気で仕事がない
それが最大の理由だと思うが
人間関係でって、それはちょっと
私からしたら理解出来ない。
確かに人間関係は難しいが
それでもみんな頑張ってるのに
そんな理由のために?
仕事したくても出来ないで
仕方なくホームレスになって
しまった人に失礼ではないか?
うむ・・・暴言ですね。
「ショック療法」といいますか?刺激を与えんと人は駄目になるらしい。
これぐらい俺以外にも同じ事を言っている方はどこかにいるはず。
だからこれぐらいではまだ足りないかもしれん。
聞いてる人間が「所詮は他人事」と思っている限りは、言霊程の力は無いか。
もっと・・・土足で上がるような「靴底で心を踏んづける」ぐらいのショックが必要か
人間関係の問題だが、俺はよくよく分かる。最近の事3~4日前の事だ。痛感した。
1番厳しい1番怖い人と仕事にあたった訳だ。作業を急げば「ヤー危なっかしい。1つずつ慎重にやれ」。慎重にやれば「ヤー遅い」。
「怖いッス」て言ってみた。
「ハッ!ヤーバイトの分際で何言ってるば。帰るか!」
俺>いえ」
「何で俺についてくるば」
俺>仕事だからです」
「仕事?ヤーがな?お前雇っても割に合わんけど」
俺は、仕事については、会社から「アイツ使えるから」と指名されるぐらいの働きはしています。
だから・・・アレは・・・あの人はキツかった。本当に「止めようか」と思った。
会社の上の方に「あの人と組ませないで!」と訴えようか?頭を抱えた。
ムカムカしていたのでその日の給料は受け取らんで帰った。
バイト先には色々な社員さんがいて、話好きな人もいる。
そこで色々な話をするのだが、実際に「仕事が辛くて」と途中で帰ってしまう人もいるらしい。
まぁ・・・この仕事がキツいと噂される程のものなんですがね・・・
そうだね、確かにキツい人は
沢山居るよね。(--;)
私の周りにもスゴい人が居た。
すぐぶちキレてヒステリックにわめき、
周りの空気を一瞬で凍らせる女!
奴だけは私も苦手だったな。
私はチクリと言った言葉も
気が付かない奴だった。
私が「少しは黙ってたら?
その方が周りの人の為だぞ。」
笑い飛ばしやがった。
それでも私は奴を嫌いではなかった。
本当に色んな奴は居るもんだ!
↑言葉使いが悪くなった、すまん
ただ、誰から見ても甘えてるだけの人が
私はいやなんだよ。
本当に頑張ってるのに
耐えてるのにそれでもって人なら
良く頑張ったねって
素直に思えるんだよ。
良く聞く言葉として昔にくらべて
今の若者は忍耐が無いと聞く!
それも今の世なのか?
今の世は若者は・・・そうであって欲しい。切に願う。
活路を開いて人生築いて開拓したならば「過去の日本は愚か『だった・・・』」と歴史の1ページと化せばよい。そう成らなくてはならない。
クッキー姉さんは寛大だな~。
今は心の傷も癒えました
今日も社員さんと和気あいあいと絡みましたが、れいの怖い方は「厳しい人」じゃなくて本当に!「怖い性格の人」らしい。
だが、その仕事ぶりは確か。次あの御方と組になった時はリベンジだ。
「昔の立派な日本人」
それは、恩師曰くは明治時代に遡るらしい。明治から人間教育を誤り、世界対戦のような悲劇を犯した。
俺も、「立派な人物」は具体的に或いは十分には分からない。
恩師も俺が生まれる数年前に逝去された。
しかし、現代の文明開化は確かに凄い。恩師が聖人が偉人がどれだけ気高かろうと、彼等はこの世界を知らぬ。
だから極論、彼等じたいを知らんでもよい。
その運命に築かれた生きる知恵を頂き、新に立派な人物と成るのだ。
怖い性格の人か(^_^;)なるほど
私的にはOKだな!
仕事出来るって事は職人気質なんでは?
良いね♪(*^^*)
立派な人物ねぇ~(^_^;)
私も分からないよ。
私の場合は全然だが…
身近にこの人って凄いと素直に
思える人も立派な人物かな?
物凄い事をやった人だけが
立派な人物ではない!(^_^)
これは私の考えね。
俺の哲学想像
俺は時々仮想のシチュエーションを考えて真理を考える。
例えば
一人の受験生がいる。その人の学力は合格出来るか正直分からない所だ。
その人にある日のこと、試験の内容が記された物を拾った。その人は、受験の内容答えを知った。
合格した。
この現実をどう解すべきか?
この人は拾い物のお陰で合格出来た?それとも、拾い物が無くても合格出来る実力が有ったから拾い物は関係ないのか?
因果真理は混沌として難儀だ。
人生とはこんなものであろうと思う。何処までが運で何処までが実力なのか?
「運は待っても来ない」は事実。だが、強運は「何処からか突然の幸いに遭う」のも事実だ。
「実力で掴む運」もあるであろう。「実力はあるのに幸運に遇えぬ」現実もある。TV番組でそういう歴史人物の話を聞いた。
真理はその人それぞれの個性に寄る。その個性とは「自己」である。「真理は己の内にある」はこのことだ。
「運も実力の内」
良くそんな言葉を聞くが
果たしてそうなのか?
実力があっても運がない人も居る。
確かにどこまでが運で
どこまでが実力?分からない事もある。
ただ明らかに頑張っていて
「実力で掴む運」それは分かる!
袁了旦、周公旦、張・・・張おうきょ、孔丘、晏嬰、荀・・・えい?けい?荀~子、孟子、遽伯玉、侫武子、王陽明、老荘、シュバイツァー、アーノルド・トインビー、シュペングラー、安岡・・・、細木・・・
暇だ~~~たが
暇潰しに人の名前を思い出していたら本が読みたくなってきた
孔丘、荀子、孟子、晏嬰、老荘
読んだ事があるのはこの程度か・・・
老荘に関しては10ページも読んじゃいない。
獲物が盛り沢山?
面倒臭いぜぇ~
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