ゼロ 2012-08-12 16:50:55 |
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氷の足跡
ゼピュロ最北端の街に私たちはいた。
北の大陸の風の影響が届き、冬の夜ともなれば酷寒に見舞われる地域だ。
両親は幼くして亡くし、スラム街で生活していた。
幸いそんな孤児の私たちにもなんとか仕事を得る事ができ、
兄やスラムの仲間達と助け合って暮らしていた。
兄は優しく頼りになったので、仲間内の人望が厚かった。
貧しい暮らしのなかで兄は金を貯めて時々本を買っていた。
当時の私はそんなものよりも食べ物や家財でも買って欲しかったのだが、
高い地位に昇るには学が必要だと兄は何時も言っていた。
偉くなって、その力で皆が暮らしに苦しまないようにするためだと。
私が十二の冬の日の事、私は夕食の支度を済ませて兄の帰りを待っていた。
しかし、普段帰ってくるはずの時刻を何時間過ぎても兄は帰ってこなかった。
それが私にはとても恐ろしかった。
きっと仲間の誰かの家に寄っているだけだ、そしてそのまま泊まってくるんだろう。
不安を打ち消すためにそう思い込もうとした。
それは全くのデタラメだった。あの優しい兄が私を独りにする訳がない。
私をおいて外泊など一度たりともした事はなかった。
その翌日、私は通りで兄の凍死体を見つけた。
仲間に聞いた。本屋で万引きがあったらしい。
兄が利用する本屋とは違ったが、兄が疑われた。
実に下らない、孤児の癖にいつも本を読んでいるというだけで。
店主に捕まり、罰として一日中扱き使われた。
兄は当然反論したし、それを見掛けた仲間も弁護したが、所詮孤児の戯れ言と聞き入れられなかったそうだ。
恐らくそれで夜遅くに無理矢理追い出され、疲れもあって家に辿り着けなかったのだろう…
私は仲間達と復讐を企てた。それは自分でも驚くほどに上手くいった。
かくして追われる身となった私たちは街を逃げ出した。
この世界では殺しの才能は重宝されるもので、逃亡中の殺人者を暗殺者として利用する者もいる。
特に余所者で身無し子の私たちは扱い易く、そういった仕事を得る事ができた。
貧困層の人間が傭兵になる事も珍しくない。次第に私たちは傭兵として伸し上がっていった。
兄の言う通りだった。力があれば変われる。何よりも必要なのは力だと思った。
生活に余裕ができた頃から各地で才能ある貧民に手を差し伸べ、私は氷爪の騎士団を組織した。
貧しい者を利用し易い事を我が身で知っているから。
どんな仕事でも、どんな手段でも、どんな犠牲を払っても…更なる力を求めた。
武力、財力、いずれは権力者に取り入ってその力も利用してやろう。
全ては兄の遺志を遂げるため、私が世界を変えるため。
それもここで終わり…
いや、違うか?
私の右側、少し離れたところに紅い槍が魔法陣を広げて地面に突き刺さっている。
「何が…確実に…死に至らしめる…だ…
死んで…ねぇぞ…リーダーは…」
焼け焦げた肉と骨の下に、私はいた。
「ゴウル…」
「忠誠心の篤い部下に恵まれているようだな」
吸血鬼が槍の元へ歩いていく。
「まったくだ…思い出してみれば、当の私も立派に悪人だってのにね…
私にはもったいない人間だよ」
部下が一人起き上がる。
「リーダーを…ただの悪人で終わらせないよ…」
「おっ、クラウは生きてたかい…どうする?」
「あなたの目的を果たすべきだ…その犠牲になるなら不満は無いからさ…」
「ハハッ…冷酷で、自分本位で、しかも愚かで…こんなリーダーで悪いね」
私は立ち上がり、鎧を外し剣を構え、クラウはそれに倣う。
吸血鬼が槍を引き抜き、こちらを見据える。
「これだけ犠牲を払っておいて、何も得られずじまいじゃ終われないからね…クラウ!」
まずクラウに仕掛けさせ、私はその陰から続く。
クラウの上半身が焼き払われた。
直後私は大きく跳躍し、吸血鬼が槍を上に向ける。
私は自ら左手を切り落とす。
「ぐうぅぅ!…血の目潰し…ってヤツさ…!」
溢れ出る血液は吸血鬼の目元にかかり、憑冷剣がそれを凍らせる。
「終わりだねぇ、吸血鬼!」
着地した私は吸血鬼の背後に回り、剣を突き刺そうとする。
「ああ、終わりだ…
オートメイト…チェーンストーカー」
吸血鬼の左手の指から短く垂らした鎖が憑冷剣に引き付けられるように動き、絡み付く。
「見つけたぞ」
鎖の動きに導かれた左手が剣を掴む。剣先は脇腹を浅く刺し、そこで止まった。
片手で人外に挑んだのは失策だったかな…
吸血鬼はそのまま振り向き、紅い槍が私を捉えた…
兄さんはあの酷寒の夜、独り凍えて死んだ…
だけど私は仲間達に恵まれて、そして焼かれて死ぬんだ…
なんというか、兄さんには申し訳ないけど…悪くない死に方だね…
そして白銀の息吹も血を固めた氷も溶けていった。
第八話 氷の足跡
次回 途絶える道を
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