マキナマズル 2012-04-02 20:31:12 |
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話し足りないから
ここに来ているけど、
自分の言う「話し足りない」とは、勿論人と話していた方が満足度は高いけれど、
必ずしもお互いに満足する結果になるとは思えない、
知らない人間同士とのチャットなんて最もだ。
ならば独り言の方がより多く、
満足出来るのではと
そのスタンスは変わっていない
いつ始まって、いつ始まったのかも不明な独り言。
適当な位置につき
ヨーイドンの合図もなく走り出し
いつか終わる、
コーカスレース
また始まります。脳内会議が。
まずここにきて
1番やりたい事は
1番上の欄に表示されるトピックの説明文?
的な箇所を、、、
変えたい。
何が変わるのかもわからないが、何となく稚拙に感じる。
、変えたい。
でも何が変わるのかもわからない。
箱庭で
ちょっかいを掛けられても、それを押し潰す
仲間が居て、
少し苦しみはあったけれど、後もう少し、耐えることが出来たら、自分は、自分で、とても認められる、
自分自身で、自分を尊敬出来る、
人間になれたのかもしれない、
もう何年も前の、家を思い出しては、
痛めつけられるのは嫌だよね、と愚痴をこぼしては、
ただ、自分を見つめていた。
時々ただ一つの人格も保てていないのでは、と、ふと思う事も有り、「それもまた一興」と楽しむ余裕さえも、どこかへいってしまった。
信頼出来る人に、悩みを打ち明けては、
「○○は大人だよ」などと言ってもらっては、それを否定してはいたけど、
実際未熟だったのは本当で、
自分自身の痛みより、そして身体よりも、
肉体に宿る精神、こころに比べれば、怪我なんて容易いと。
外傷ばかりだった自分に、そう言えるのか、
今も、されど過去は
より未熟だったとのは本当で、
その証拠に、此処にあるのは自分だけ、その事実が何よりも悲しい。
飼い犬が、意識下にも入ってこなかった飼い犬が、
いなくなってしまったのが、悲しい、
過去は過去と決別出来たはずなのに、自由になった今、
何もなくなった今だからこそ、昔は気付かずに済んだ痛みを、理解し、未だに古傷としてのこっている。、
トリガーさえあればこの悲しみは繰り返される、
憎悪
犬を殺した犯人を、殺したくてたまらない、
犯人は知っている、お世話になったあの人だ、
どうしているか、などとは聞きたくない。
今も枕元に立って、私を叱る、今でも身近にいる、
これは妄想であり、気の迷いでしかないが、そんな気がするのだ。
あの犬は今どうしてるか
と、母が訪ねた、
「知り合いの家に預けた」だそうで。
私は何も感じずに話を聞いていた。鼻から犬が路頭に迷ったり、酷い目にあったりなどと、夢にも思っていないのだ。
「それを聞いて安心した、安堵した」とすらも思わない。あれだけの事をした犯人にさえ、私は未だに同情していて、
寧ろ預けるなり、引き取って育てるなりは、「当然である」と、
思っていた
お前は実際に人の家に預けられている
その犬の姿を見たのか。
本当に見たのか。
見ていない、ただ話に聞いただけだろう、
では、預けられているとは、限らないのではないか。
誰しも、自意識過剰で、
誰もが、自分が可愛いのだ、
自分なんかより犬猫の方が大事。
嘘だ。
何より、深層心理にペットが住み着いてしまったなら、可愛くて飼えないだろう。
それでは人として生きていけない
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