青葉 2012-01-06 22:03:27 |
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この話の展開でも日和はそんなことを言う。
「まだ、疑うんですか?僕はゼロじゃないですよ。ゼロは新里です。日和さんもそう考えているじゃないですか。」
僕が不満を込めて言うと、
「あたしは一色君をゼロとずっと思ってる。この考えは全く変わってないわ。」
そう力強く言われてしまった。
「だって日和さんは、新里が能力を使って投手として成功したり、人気者になったと考えているんですよね?」
「昨日の試合を観るまでは、新里君をあまり疑ってなかったけど今はゼロだと思う。でも一色君、新里君がどうであれ、やっぱりあなたはゼロよ。あなたは学校の中で一人だけ違う雰囲気を持っている。一人だけね。そして、あたしの存在を受け入れている。新里君がゼロだというよりも、あなたがゼロだという方が自信があるくらいよ。」
考えてるみると、日和は新里がゼロだと疑っているが、雪見やコウの件の犯人だとは一言も言っていない。やはり僕を犯人だと思っているのだろうか。それを確かめる為、僕はそのまま疑問を日和にぶつける。
「やはり犯人は僕ですか?」
日和は僕の言葉を聞き、済まなそうな顔をした。
「そうだった。ごめんね、一色君。先に言っておくべきだったわね。あなたは犯人ではないと思う。犯人は新里君でしょうね。疑って本当にごめんなさい。まだ完全に疑いが晴れたわけじゃないけど、謝っておくわ。」
煮えきらない謝罪であり返答だ。
「僕はゼロだけど、犯人である可能性はあまりないということですね。」
「そうね。」
完全無欠に冤罪と思って貰えないにしても、僕は良かったと思う。殺人者と思われるのは、やはり気分が悪い。
「そうなんだけど。でもね、あなたが犯人でなくてもゼロであれば、あなたのことも放って置くわけにはいかない。」
僕を安心させることを日和は拒むかのような発言をする。
「何でですか?」
そう訊くと沈黙がある。再び盗み見すると、日和は答えを迷っているようだ。日和は暫くしてから口を開いた。
「ゼロとは存在してはいけないからよ。」
「存在してはいけない……」
とても重い言葉に感じた。だから思わず日和の言葉を繰り返してしまう。今日からの日和を、僕は新里という共通の敵と共同戦線が張れる味方として捉え始めていた。警戒をかなり解いていた。しかし違う。日和は僕をゼロと考えている。そんな中でゼロを存在してはいけないと言う。存在の対義語を頭の中で検索するがネガティブな意味しか浮かばない。少なくとも味方ではないようだ。 存在を否定されるならば怖いと思う。
「ゼロとは本来ない能力をもってる人のこと。本来はあってはならないの。だから、いづれはゼロは淘汰しなければならない。ゼロという存在の数をゼロにしなければならない。あたしはその目的を達成させるわ。その一環としてあの学校に来た。」
そう言って日和はまだ着いていない学校の校舎を指さした。
「日和さんだってゼロじゃないですか。」
日和が僕をゼロと確信しているように、僕は日和をゼロだと確信している。
「一色君があたしを何者だと思っていようと、あたしはゼロの人数をゼロにする。それだけよ。」
「日和さんはゼロですよ。日和さんは自分さえ淘汰するつもりですか?」
「そうよ。あたしがゼロならば、あたし自身を特別に扱う気はないわ。」
そう訊いた時、僕はハッとする。ある疑惑が頭をよぎる。
日和は雪見をゼロではないかと言った。そしてゼロは存在してはいけないと言っている。ゼロの人数をゼロにするのが目的ならば、もしかして雪見を亡きものにしたのは日和かもしれない。日和がゼロだと確信した時、或いは日和が犯人ではないかと漠然と思ったが、いま日和の動機が形になった気がする。新里より日和の方が動機がある。雪見が日和の考えている能力を持ったゼロならば新里は雪見を必要としていたはずだ。そして日和の話した通りなら新里は雪見の能力を知っていたことになる。だから新里は、雪見がいないとダメだと言っている。日和は新里が犯人だと言っているが、新里は利用できる雪見に何で危害を加えるのだろう。
「日和さんはゼロを亡きものにする為ならば、自分の存在さえ否定するんですね。」
僕は言い様のない不気味さを日和に覚える。日和が前に僕に恐怖を感じていたことがあったが、今は逆になっている。
「一色君。そうなんだけど、あたしの考えと、あなたが考えはニュアンスが違うと思うわ。」
日和は僕の様子を見て、クスリと笑う。心を見透かされたようだ。
「どう違うんです?」
「ゼロをゼロにするつもりだけど、それはゼロを抹殺するのではなく、ゼロの能力を消去して、全員を普通の人間にすることよ。」
能力の消去ができるならば僕に何かすることはないだろうし、雪見の件の犯人でもないと考えられる。だが、何が真実なのか全く解らないので安心する気にはなれない。しかし、ゼロの能力消去することができるならば、さっさとそうすればいいと思う。
「そんなことができるなら、早く新里と僕の能力を消去すればいい。何でそうしないんですか?」
「本当はそうしたいんだけどね。でも今は出来ないのよ。消去するにもタイミングがあってね。しかも複数ゼロがいるとなると色々と複雑なのよね。この事についてはこれ以上は教えないからね。」
日和はそう言ってため息をつく。僕には言えない難しい事情があるらしい。これ以上教えないと言ったからには、訊いても日和は答えないだろう。
「では違うことを訊きます。新里が雪見を亡きものにする理由が考え付きません。日和さんの考えた通りの能力を雪見が持っていたのならば、新里は雪見を必要としていたはずです。」
そう訊くと日和はまたも足を止める。
「そうなのよ。一色君の言う通り、動機が解らない。」
僕も足を止める。意外な答えだった。動機が解っていないのに犯人だとほぼ断言していたのだから。
「動機が解らないのに何で新里が犯人だと思うんですか?新里は雪見が必要だった。それならば……。」
僕は途中で言うのを止める。あまり蒸し返したくないことを自分でいいそうになった。しかし、
「それならば、もう一人のゼロである、あなたを犯人だと思う方が自然よね。」
日和は僕の考えたことを解っていたようで、僕の言葉を受け継いで言った。
「まあ、そうです。」
そう答えるしかない。
「一色君の能力はだいたい予想がついてるの。それは雪見さんを爆死させるようなものではない。人を攻撃できる能力じゃないのよ。一方の新里君の能力は解らないんだけど、でも、あなたが人を攻撃する能力がないのだから犯人は新里君しかいないでしょう。あなたの話では、新里君は不本意ながらも、幸島君が四階から落ちたことに関係している発言をしている。直接なのか間接なのかは解らないけど、きっと人を攻撃できる能力を新里君は持っているわ。」
つまり消去法というこらしい。雪見の最期は異常なのでゼロの犯行だろう。そしてゼロは僕と新里。僕には攻撃能力はないが新里にはある。よって犯人は新里ということだ。それは兎も角、また気になることを日和は言っている。
「僕はどんな能力なんですか?」
僕はゼロだという自覚が全くない。自覚がないゼロもいると日和は言っていたが、僕には能力で恩恵を受けた覚えがない。過去を思い返して、能力のお陰でこんなに良いことがあったと思える事が思い浮かばない。あるとすれば、コウが四階の図書室から転落した日。あの日は確かに僕は運があった。教頭の車に跳ねられそうになったのを間一髪のところで助けられ、その後のコウを含めた複数の落下物を全て避けることができている。つまり僕の能力は危機回避ということだろうか。しかし、あの日だけ切り取ればそうも考えられるが、全体的に見てそんなに自身が危機回避に優れているとは思えない。実際に去年の体育の授業でサッカーをしている時に、深いタックルをもらって僕は足を骨折をした。暫く松葉杖を使っていたのを思い出すと、とてもそんな能力があるとは思えない。
「一色君の能力は受動的に発動するものよ。条件面でまだ解けない謎があるからちゃんとは話せないけど、人に危害は加える能力じゃないわ。」
日和は核心に触れない言い方をする。このことも言うつもりはないのだろうか。
「条件面の謎なんていいですから、教えて下さい。僕の能力は何ですか?」
僕は食い下がるが、
「教えられないわ。まだね。」
そう日和は答える。やはり教える気はないようだ。僕が自分の能力を知ることで、何か日和に不利なことでもあるのだろうか。そんな理由で教えてもらえないとしたら僕はどんな能力だろう。そんなことを考えていると、
「一色君。放課後また会おう。校門で待ってるから。」
日和は微笑みを浮かべて言った。 日和には魅力がある。だから僕はこの笑顔に動揺する。だが、何を考えての微笑なのだろうか。日和は何者なのか、また敵か味方かも判断がつかない。僕に笑みを向けながら、頭の中では何を考えているか解かったもんじゃない。放課後に呼び出して、僕を能力ごと消そうとしているのかもしれない。
「放課後また?何故ですか?」
僕は警戒から顔をしかめてしまう。
「一色君!あたしと会うのがそんなに嫌なの?」
日和は不快そうな表情になったが、次の瞬間には微笑みを取り戻して言った。
「警戒しているのね、一色君は。当然か。あなたにとって、あたしは得体が知れないものね。」
その通りだ。日和は得体が知れない。
「放課後にまた会ってどうするんですか?」
放課後に再び会う目的は何だろうか。
「一色君の目から見た感想を聞きたいのよ。新里君と野球部の部員達との関係についてね。さっきも言ったけど、昨日あたしが見た限りでは野球部の皆は新里君に冷たかった。でも、学校内ではどうなのか?それを知りたいのよ。きっと学校内では変わらず人気者だとは思うんだけど。」
制服姿の女子二人が、立ち話をしている僕達の横を通り過ぎていく。登校するのだろう。喋りに夢中で僕達を気にとめる様子は全くない。
「新里の能力の範囲を見極めて、さらに雪見がゼロだったという疑惑を確信にしようということですね。でも何で僕の意見を聞きたいんですか?日和さんが自分で見れば解ることですよ。」
わざわざ会う必要性を感じない。僕の警戒心は強くなる。
「これもさっき言ったけど、学校内ではあたしの思考の方向性が何故か変わってしまうのよ。」
意味がよく解らない。
「どう変わるんですか。」
「簡単に言うと、新里君に肯定的になるの。そのせいでしょうね。だから一色君には否定的になる。一色君、学校内であたしに会った時は気をつけた方がいいわよ。」
他人事のように日和はそんなことを言った。学校内では敵になるということだろうか。尤も学校外でも味方といえるわけではないと思う。
「それもまた新里の能力かしらね。新里君の能力が何だか解るまで、新里君を観察するしかないわ。それを解明するのは一色君にとっても有益でしょう。今度は年上の女の子の誘いを断らないでね。じゃあ、一色君。放課後またね!」
不意をつかれた。日和はそんな言葉を残して突然に学校の正門に向かって走って行ってしまった。まだ聞きたいことがあった僕だが、どうすることも出来ずに見送るしかなかった。
僕の頭は混乱が少なからずあり、学校はすぐ近くだったが、行く前に日和と話したことを頭の中で整理したくなった。僕は少し道を戻り自動販売機でペットボトルのコーヒーを買い、近くにあった小さな児童公園のベンチに座った。公園内には僕の他には誰もいない。僕は日和の話を思い出す。推測が多くあったので疑問も残った。しかし、それよりも新里の能力は何だろうか。投手として成功し、人気まで操作して、そしてコウを四階から転落させ、さらには雪見を粉々にした。こんなことは、一人のゼロが一つの能力で出来るのだろうか?出来ない気がする。もしかすると、一人のゼロが複数の能力を持つことが出来るのかもしれない。
「放課後に訊いてみよう。これって結構大事なことだよな。」
僕はそう呟く。
ペットボトルの蓋を開けて、コーヒーを口に含む。一息つく。公園の中には滑り台とブランコがあった。この小さな公園は、通学途中にあるので存在は知っていたが、いつも通りすぎるだけで中に入ったのは今日が初めてだ。何となく懐かしい感じがする。今は住宅が建っているが、幼い頃に僕の家の近くにも小さな公園があって、滑り台とブランコとがあった。
「優ちゃん、ブランコのとこ行こう。」
あの頃の雪見の声が聞こえたような気がした。当時の記憶が視覚的刺激から甦る。小学校に入る前くらいまで、雪見はブランコが好きで、外に遊びに出るとよくそう言って公園に行きたがった。僕はいつも頷き、一緒に公園に行って二人並んでブランコに座った。雪見はいつも高くまで漕いで、とても楽しそうに全身に風を受けていた。当時の僕がそんな雪見を見て、どう感じたのかは覚えていない。でも今、雪見がブランコを漕ぐ姿を思い出すと微笑ましく思える。僕はこの小さな公園で、幼い雪見がブランコを漕ぐ幻影を見て口元が緩んだ。が、直ぐに心の痛みに襲われた。遠い日を思い出すとやってくる独特の胸の苦しみと一緒に、雪見を喪った哀しみが同時に降りかかってきた。涙が込み上げ、息苦しさも感じた。もう、雪見は幻影でしか見ることは出来ない。そんな現実を思い出してしまった。雪見とはたくさんの時間を一緒過ごした。ブランコのことはほんの一例で、その他にも色々なことがあった。それらは無邪気であり、ただ楽しくいられた時間だった。僕はそんな大切な時間を思い出として共有する相手を喪ってしまったのだ。もう誰も、楽しかったあの頃を一緒に思い出してくれる人はいない。改めて思う。僕はかけがえのない存在をなくした。
「雪見、戻ってきてくれ。甦ってくれよ。」
小さな小さな声でそう言うと、僕の両目から涙が落ちた。日和の話を頭の中で整理しようとしたのに、雪見を思い出して朝から感傷に浸ってしまった。暫く前かかがみにベンチに座り、心の痛みが通りすぎるのを待った。ところが、それなりに時間をかけたものの、待つだけでは落ち着くことができず、仕方なくコーヒーを一気に飲み干し、公園内にあった水道で顔を洗い、無理矢理に気持ちを切り替えて学校に行くため公園を後にした。
道に出ると、制服姿の男女が学校に向かって多数歩いていた。僕はその中の一人となって歩き出した。
公園は学校のそばだったので、直ぐに着いてしまう。
校門に立っていた、顔は知っているが会話をしたことのない先生に挨拶をして、校門をくぐり抜けた。昇降口に続く通路を歩きながら考える。
日和から新里の様子を見るよう言われたが、新里は僕を見れば罵声を浴びせるだろう。それだけで済めばいいが、もしかしたら解明できてない能力で攻撃をしてくるかもしれない。それは避けたい。見つからないようにそっと様子を見ようと思う。一度は新里と対決することを決意したが、それは雪見とコウを奪われたことの怒りと、自分が狙われているという恐怖から冷静な判断が出来なくなっていたからだろう。しかし、時間が少し経ち冷静になると相手がゼロであっても能力が解っている方が断然良いに決まっていると思う。しかも日和の予想では、新里の能力は場所の制限があるということだ。状況が変化している。破れかぶれの対決は今は避けた方がいい。では、どこで新里の様子を伺うか。日和は、新里を見るのではなく周囲の新里への反応を、特に野球部員の様子を見て欲しいと言っている。人が集まる場所で新里の様子を見なければならないだろう。だか、ここは学校なのでそのことは難しくはない。それに人がいた方が、新里に気付かれず周囲の反応を調べることが出来る。好都合だ。
さて、いつ何処で調査を開始しようかと思案しながら昇降口に入ると、幸運と不運が同時に訪れた。
「何だよ、調子がいいじゃないか!昨日は俺をあんなに邪険に扱ったくせに、今日はずいぶんと違った態度だな!」
新里の怒りの声が耳に入る。
昇降口から直ぐの廊下で新里が同学年の野球部員を二人を詰っている。
幸運は新里と野球部員の様子が謀らずとも目の当たりにできること。不運は新里の前を通らないと教室にいけないことだ。
「結局そんなもんだよな、俺とお前たちの関係なんて。」
新里は声をあらげている。なじられている二人はばつの悪そうな感じで困ったように笑みを浮かべている。
「いや、昨日は邪険に扱ったわけじゃないです。」
「そうです。昨日は新里さんが不調だったみたいだから、何だか声がかけづらくて。」
二人は言い訳をしているようだ。
僕は少なからず衝撃を受ける。新里には同学年でも敬語を使う連中がいるんだと。新里の能力は学校では絶大だ。
「そんな感じじゃなかったな。お前ら俺のことが嫌いなんだろう。本当はよ。」
二人は何とか新里のご機嫌をとろうとしているが、新里は取り合わないようだ。この状況から、日和のいう通り新里は昨日の試合では皆から邪険に扱われていたが、今日はいつも通り人気者のようだ。
僕は下駄箱の陰に隠れて様子を伺っていたが、早く新里が去って欲しいと思う。新里が階段の方に歩いていけば、僕は新里に気づかれることなく日和から受けたミッションを遂行できたことになる。もう充分だ、日和のいう通りだと思う。しかし、新里は予想外のことを言った。
「今日は気分が悪い。帰るぜ。先生には具合が悪くなったと言っておけよ。」
新里は二人を置き去りに歩き出した。残念ながら階段には行かず、下駄箱の陰に隠れていた僕の横を新里が通る。そして、気づかれる。そして新里は立ち止まる。僕を見れば罵声を浴びせるのが常だ。
「一色、盗み聞きかよ。それより何でお前はまだ元気でいる。本当に腹の立つ奴だな、お前は。」
僕の顔を見て、新里はさらに不機嫌さを増したようだ。そして、久しぶりの接触だ。
「盗み聞きなんかしてない。ただ上履きに履き替えようとしただけだよ。」
僕は嘘をつく。
「そんなことどうでもいい。何でお前は病院送りにならない。俺が、怪我をしろと言ってんだぞ!」
新里は勝手なことを言う。僕はムッとする。
「昨日の試合で打たれたからって、僕に当たるなよ。」
相手は能力の解らないゼロだというのに、つい挑発してしまう。相手が新里でなければそんなことを普段なら言わないだろう。僕はどうやら本当に新里が嫌いらしい。新里の顔が歪む。
「ちくしょう、皆で俺を馬鹿にしやがって!」
新里が叫ぶ。そして、僕に近づいてきた。殴られるのを覚悟したが、そうならなかった。新里は僕が手に握っていたカバンを思いっきり叩き落とした。
バーン!と音が響く。
ああ、また弁当が崩れた。そんなことを考える。
「お前なんかに馬鹿にされるとはな。俺は、力を持っているのに。お前なんかが俺を馬鹿になんかできないはずなのに。やっぱり、雪見だ。雪見がいないと俺はダメだ。雪見、帰ってきてくれよ。」
新里はそう言ってうなだれた。その姿は情けないものだったが、僕は同情の気持ちが芽生えた。どうあれ、新里も僕が大事にしていた雪見を必要としていたんだと気付く。
新里はそのまま外に走り去っていった。それを見送ってから、僕はカバンを拾うために屈む。すると、クスクスと笑う声がある。そして、
「相変わらず仲が悪いね、二人は。」
そう背後から聞こえてきた。声は明らかに女子。
カバンを拾うために伸ばした手が止まる。全身が硬直する。
誰だ?日和か?違う。日和の声じゃない。僕はあまり異性と話すことはない。日和の他に僕にそんなことを言ってくる存在はいない。誰だ?
いや、そんな思考は無駄だ。解っている。本当は誰の声がなんて解ってる。聞き間違えるはずがない。そう、ずっと聞いてきた声だ。有りえないから体が動かない。後ろを見ることが出来ない。
声の主は笑いながら去っていく。階段に向かって行くのが気配で感じる
「雪見……。」
かすれた声が僕の口から漏れる。
なかなか回らない首を何とか動かして、振り返る。階段を昇っていく後ろ姿が一瞬見えて、直ぐに視界から消えていった。一瞬でも十分だ。確かに雪見の後ろ姿だ。聴覚で既に百パーセント雪見だと確信していたが、視覚からも百パーセント雪見であると確信した。僕の脳は確実に雪見だと判断する。しかし、僕は雪見の葬儀に参加した。雪見は、もう何処にも存在していないはずだ。
ゆっくりと上履きに履き替える。行動が鈍くなっているのは恐怖からかもしれない。雪見に恐怖を感じるなんて今まで思いもしなかった。何処にも存在しえないはずなのに存在している。そうなると、それは何だろう。幽霊?いや、そんなものいるはずがない。では幻?いや、白昼夢か。そう白昼夢だ。さっき公園で雪見が甦ることを心底から望んだ。僕は願望を見ているのかもしれない。ならば、雪見を見ることが出来るのは僕だけということになる。そうならば、それでいい。白昼夢が覚めれば問題は何もない。僕だけにしか見えないのかを確かめるのも簡単だ。雪見は階段を昇っていった。二階の自分の教室に行くのだろう。僕も雪見の教室に行き、教室内の様子を見ればいいだけだ。雪見が教室に現れれば、確実に教室内はパニックに陥る。だが、雪見を誰も相手にしていなければ僕の白昼夢に間違いない。本当は雪見が存在していないことが判る。白昼夢が長く続かないものならば、もう僕にも見えないのかもしれない。とにかく追わなければならない。雪見の教室は僕の教室の隣だ。
僕は階段に向かう。白昼夢だろうと思いながらも、まだ体は調子を取り戻さずノロノロと歩く。衝撃がそれだけ強かったんだと思う。
やっと階段の前までたどり着く。短い道のりなのに時間を掛けてしまった。そして、階段を昇り始めたその時、耳をつんざくような悲鳴が二階から響いた。
「イヤァァァァァァ!」
学校中に聞こえるのじゃないかと思えるような女子の叫び声だ。聞くだけで恐れが伝わり足がすくむ。それを皮切りに多数の男女の悲鳴があがった。まるで悲鳴の合唱のように。おろらく教室に入って来た雪見にクラスメート達が反応したのだろう。雪見の教室に行くまでもなく結果が判ってしまう。僕は白昼夢を見ていたわけではなかった。
亡くなったクラスメートである雪見が、つまり死者が教室にやってきたら、教室内が阿鼻叫喚の様相を呈して当然だ。
「パニックが起きてる……。」
喧騒の中、バタバタと二階の廊下を走るいくつかの足音がする。きっと雪見のクラスメートだろう。死者に遭遇してその場に留まることが出来なかった数名が逃げ出したといったところか。足音は僕が昇り始めている中央階段を降りることはなく、階段を通りすぎていく。その先には職員室があるので、そっちに向かうのだろう。恐慌状態に陥り先生に救いを求める気持ちは解る。だが、あの悲鳴は職員室にも響いたはずだから先生も誰かしら悲鳴のする雪見の教室に向かっているはずだ。
そんな中でも、中央階段を降りてくる足音が一つある。かなり慌てていて、走り降りてくると、踊り場で曲がり切れずに壁に激突して止まる。中野と同じく中学が一緒で、雪見とは同じクラスの佐山だ。佐山は中学の頃も今もよく女子に声を掛けるタイプで、嫌う女子もいたが、愛想の良い雪見はいつもくだらない話に付き合ってあげていた。佐山は僕よりもむしろ雪見と仲が良かったような印象がある。階段を昇り始めた僕と目が合うと、佐山は僕の所までかけ降りてきて、顔面蒼白で僕の胸ぐらを両手で掴んで言った。
「一色!なんで上條が教室に来る!?何でだよ!」
何だか怒られている気分になる。そして、
「お前ら幼馴染みだろう。何とかしろよ!上條を何とかしろ!」
と言う。かなり狼狽している様だ。
「離してくれよ。」
そう頼んでも佐山は何も変わらない。
「上條を何とかしろと言ってんだよ!早くしろ!」
「落ち着けよ、佐山。」
僕もそんなに落ち着いていないが、そんな言葉が出る。
「落ち着けるか!上條が来てるんだぞ!一色何とかしろよ!はやく上條のところへ行け!」
僕は最初から雪見を追っていた。それを邪魔した張本人からそう言われるのは心外だった。佐山には悪いが相手をしている場合ではないと思う。僕は雪見の所に行かなければならない。僕が行ったところで何かを出来るのかは解らないが、佐山の言う通り僕は雪見の幼馴染みだ。理屈なんかじゃなく、何かが出来るかどうかじゃなく、早く雪見の所に行くべきだ。
「分かった。雪見のところに行ってみる。だから離してくれ。」
僕は佐山を落ち着かせる為に、穏やかに言った。すると、佐山は急に顔を歪ませ、
「一色、何とかしてくれ……。俺は恐ろしい。上條が教室で、お早うと言って俺の肩を後ろから叩いたんだ。俺は死人に触られたんだ……。」
弱々しくそう言って手を離した。
僕は解放され二階に上がろうと決意すると、
「一色!何があった!?」
大きな声が後方からした。
新里の声だ。学校中に響き渡っただろう悲鳴を聞いて校舎内に戻ってきたようだ。
「一色、言え!なんださっきの叫び声は?」
新里はズカズカと近づいてきて僕の胸ぐらを掴む。佐山から解放された途端にまた捕まってしまう。今度は直ぐに振り払う。無意識に佐山とは違う対応をしている。
「上條が学校に来たんだ。教室にいるんだ!どうにかしてくれよ!」
僕ではなく佐山が答える。佐山を見ると僕の横で階段にへたり込んでいた。
「雪見が?佐山!本当か!?嘘だったらただじゃ済まさないぞ!」
新里はへたり込む佐山を見下ろしながら脅しを交えて訊く。
「本当だよ。俺の教室にいる。誰でもいいから早く何とかしてくれ!」
佐山は頭を抱えて喚く。少し落ち着いたように思えた佐山だったが、新里の攻撃的な態度を前にして元に戻ってしまった感がある。新里は佐山が取り乱している様から、佐山が間違いなく事実を言っていると感じたのだろう。少し考える時間があり、そして満面の笑みになり独り言を言う。
「雪見が来たのか。そうか、そうだよな。俺が望んだんだから、そりゃあ来るよな。本気で願えばよかったんだ。簡単なことだったのに……もっと早くに雪見が帰って来るように思えば良かった。そうすりゃあ要らない恥を掻くこともなかったな。」
引っ掛かることを言っているが、今は新里より雪見だ。
僕が階段を上がり始めると新里は高笑いを始める。
「アハハハハハハハハハ!」
それによって僕が足を止めるようなことはない。が、踊り場に差し掛かると新里が僕を呼び止める。
「おい、一色!雪見が来たからには、もう何もかも思い通りだ。今日こそ病院に行ってもらうからな!覚悟しとけよ。」
僕は足を止めずに答える。
「僕は雪見のところに行くよ。」
踊り場を折り返して階段を上がって行くと、下からかけ上がってくる音がする。次の瞬間、肩に衝撃がある。
「お前なんかに先に行かせるか!」
僕を抜き去る時に、肩をぶつけるという嫌がらせの小技を披露しながら、新里は階段を一気に昇りきり雪見の教室の方に走って行った。
僕も少し遅れて二階に着く。雪見の教室の方を見ると、前後の出入り口に人だかりが出来ている。悲鳴を聞きつけた野次馬がたくさんいる。ざわつく野次馬を強引に掻き分けながら教室の中に入っていく新里の後ろ姿が見え、そして消えた。僕も直ぐに野次馬の最後尾に着き、教室内の様子を伺おうとするが幾重もの頭で見えない。中に入ろうとするが新里の様な強引さが僕にはなく上手くいかない。
「ごめん、通してくれ。」
そう言いながら少しづつ教室に近づいていくと、教室内から皆に呼び掛ける新里の大声が聞こえた。
「何を騒いでいる!?雪見が学校に来るのは当たり前だろう!そんなに雪見が珍しいか?雪見はこの学校の生徒だ!来て当然だろう!」
新里の言葉が終わるとガラリと雰囲気が変わった。ざわめきが止まる。教室内を懸命に覗こうとしていた僕の周りにいた障害物達は、突然に雪見への興味を失ったようで、前のめり姿勢から、力が抜けてただ突っ立ているようになる。いや、雪見への興味を失ったというよりも興味の対象が何だったか解らなくなったようだ。そう思うのは、僕の横にいた三年生二人の小声の会話が聴こえたからだ。
「あれ、何しにここに来たんだっけ?」
「いや、解らない。何かすごいことが起きてた気がしたんだけどな。」
「ああ、でも何も起きてないよな。」
一度は収まったざわめきが再び静かにわき上がる。きっと僕の隣にいる二人と同じような会話なり呟きなりが生まれているのだろう。
僕の脳が動き出す。動揺した心を凌駕して考え始める。この状況の変化は何か?それ以前に、来るはずのない雪見が登校したのは何故か?
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