zeke 2011-10-09 00:33:55 |
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死神さん
おそらく沖縄へ来た意味は、敵の本土に上陸して、士気を下げ、降伏させるという目的ではないでしょうか。
本土へ上陸すれば、さすがの日本軍も降伏するだろうとアメリカ軍は思ったのではないのでしょうか。
しかし、結局すぐには降伏しませんでしたね。
たぶんこのような理由だと思いますけどね~・・・
二等兵さん
おそらく地下に基地があってもおかしくないと思います。
硫黄島防衛戦をしっていますか?
あの戦闘では、日本軍は地上にでるのではなく、地下に基地を建設し、島じゅうを行き来できる地下道をつくっていました。
地下にずっと隠れていた日本兵達は米軍の艦砲射撃に耐え、上陸してきた米軍兵士に大きな損害を与えました。
おそらく沖縄でも硫黄島でのことと同じようなことをして、敵をたたこうとしたのでは?
メルさん
たぶんそのような考えだったと思います。
しかし、日本軍はどんなに損害を与えようと勢いは変わらなかったし、決して降伏もしませんでした。
米軍の思惑通りにはいかなかったようですね
数々の日本の城がアメ公の空襲により
燃やされています、許さん
広島城、福山城、岡山城、名古屋城と広島城は大本営が
置かれていましたが原爆で吹き飛びました。
姫路城は迷彩に塗装を施し奇跡的にのがれました。
日中戦争時代には八九式中戦車乙型というのを使用していました。
その後の主力戦車は、九七式中戦車、九七式中戦車改、九五式軽戦車くらいですかね~
あとは一式中戦車や、三式中戦車とかもでていたのではないのでしょうか?
いずれにせよ、日本陸軍はとくに戦車の技術が遅れていたので、米軍のM4シャーマン中戦車とまともに戦って勝てる戦車は持っていませんでした。
まあ、ほとんどの戦車が対歩兵用に開発されたものなので無理もありませんがね。
たしかに富獄はすごいですが、あれは設計の段階で終わっているので完成はぜったい無理でしたね。
でも、もし日本の技術がめっちゃ進んでて、開発できていたのなら、航続距離が化け物なみなのであのアメリカをすこし後退させることができたかもしれません。
零式艦上戦闘機は実は量産にはむいてなかったようです。
なのに、日本の財閥たちは零戦を1万機ほど作り上げたようです。
物を作るのが得意っちゃあ得意かもしれません。
自治体津波対策で藤沢、鎌倉はだめみたいですが
わたしの住んでいるところは多少地形的に平気みたいです
実際自然現象ですのでなんともいえませんが
なぜ平気かというと連合軍の相模湾上陸コロネット作戦
計画から意見が出たみたいです。LST等揚陸するのはあるていどの
水深がないとだめみたいですとの事です。
実際、近所に、すでに住んでは居ませんでしたが子供の頃まで、進駐軍の住居があり、
親が言うにわ砂浜で昔演習していたみたいです。
旧日本軍とは関係ありませんですみません。
旧日本海軍の連合艦隊の旗艦であり、ビッグセブンの一員である長門型戦艦“長門”
この艦は、日本最強の戦艦と言っても過言ではないでしょう。
八八艦隊計画の第一号艦。
大艦巨砲主義の塊である艦 それ故に、性能は偽装され、スペック上では、ビッグセブン最強であった。
しかし、大艦巨砲主義は古い構想。
赤城や、同等の41cm砲を装備する予定だった加賀に出番を奪われた。
この艦は、とても数奇な運命を辿ったのです。
同型艦の陸奥は、三式弾が自爆してしまい 轟沈してしまいました。
そして、呉にて装備が外され、原子力爆弾の実験で、二回も原子力爆弾を食らっても轟沈しなかったそうです。
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