まず自分の今の状況といきさつを話すと、最近自分は大阪市内でネットカフェ難民になってしまいました。
いきさつは・・・長くなりますが、自分は物心つくころから施設で育ったため、親族というものを誰も知りません。それと、右眼が網膜剥離で失明しています。
児童相談所の担当の職員から聞いた事は、3歳の頃に児童相談所に預けられた事。預けられる前は母親と2つ上の姉との3人暮らしだった事。右眼も含め母親から虐待を受けていて、それを見かねた母方の親族が児童相談所に預けた事。
施設は大阪府内の施設を4ヶ所転々とし、14歳の頃までは「児童福祉施設」にいたのですが、中学3年の6月のある日に、長居公園で友人と遊んでいたところ、学校の卒業生の先輩方が来て、「バイク貸すからコンビニに酒買ってきてくれ」と言われ、友人と2人乗りで公園を出たところで、歩道走行と無免許運転の2点で歩道されました。
友人は家に戻ったのですが自分は施設を変えられるという事で、高槻の教護院へと移され、一年過ごしました。
児童福祉施設の大半の年齢制限は18~20歳迄いられるのですが、その教護員は15歳。中学卒業と同時に出なくてはいけません。9割9分殆どの子供は中学卒業と同時に家に戻りますが、自分には帰る場所はどこにもなく、15歳でなるべくして日雇い労働者になってしまいました。
日雇い仕事では、朝、センターという場所に車が数台止まっていて、その日の作業員を募る「手配師」と呼ばれる人達がいます。その方に声をかけられたり声をかけたりで車に乗り、現場へと向かうのですが、自分にはこんな事が幾度となくありました・・・
手配師の方に声をかけてもらい、日雇い車に乗り、現場事務所に付いて、準備体操後すぐ、現場監督に声をかけられました。
内容は「自分その右眼見えてないやろ?危ないからウチでは使えんわぁ。」「いくら本人が大丈夫って言ってても、会社としては何かあってからじゃ作業全体が止まったり大変な事になるから、使ってあげたいのはやまやまやけど難しいな・・・。」
結局自分は電車賃だけ渡され帰されました。
日雇い仕事もできない、行く宛も無い。これでは死んでしまうと思った自分は役所に相談へ行き、16歳にして生活保護にかかる事となりました。
大阪市内、区によって違うかもしれませんが生活保護費は月11万3500円。とても貯金出来るような額ではありません。
マッサージのバイトが役所職員にバレてしまい、生活保護を打ち切られました。これが4日前の話です。
寝床も無い、親族や宛ても無い、金銭も殆ど無い。生きる術が何一つ見つかりません。中卒で右眼が失明している人間を日雇い以外で雇うところなんて、住居の無い今探す事なんて出来そうも無く途方にくれています。
自分が悪かったところもわかっています。中学のバイクで捕まった日、ちゃんと先輩達に囲まれてても断れていれば児童福祉施設から移されずに、高校も行けて、まっとうな生活が送れていたかもしれません。でももう今は後悔しかしようがないです。
もしも、自分と同じ立場に立ったとしたらみなさんはどうされますか?
みなさんの意見を聞かせてください。よろしくお願いします。