ゴースト 2015-12-19 22:24:54 |
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酷い話だけどさ、横で兵士の人がうぅって苦しそうに声を出していたんだけど、僕はそれどころじゃなかったんだ。
必死に地面に這いつくばって、ソニアが居ないか手探りで探したんだ。
何人か、冷たくなった大人の死体とかに触れたけど、それに驚いたり気遣ってたりする余裕なんてなかったんだ。
どれくらい探してたのかわからない。
もう時間の感覚とかもよくわからなくなっていた。
気づいたら、洞窟の奥まで来ててさ。
壁に手を付きながら探していたら、小さな体に触れたんだ。
すぐにわかった。
夜になると、いつも一緒にくっ付きながら寝てたんだ。
すぐにソニアだってわかった。
頭が真っ白になって両手でソニアに触れたんだ。
でも、ソニアの体は温かかったんだ。
息もしていて、ソニアは生きていたんだ。
良かった。
何が起きたかわからないけど、ソニアは生きてる。
良かったって。
ソニア大丈夫?って声をかけたら、小さい声でうん。って言ったんだ。
離れてごめんねって。
ソニアを追いて水汲みにいってごめんって言いながら、ソニアを抱き寄せたんだ。
そしたら、手に生暖かい液体がついてさ、最初は何かわからなかった。
でも臭いを嗅いだら、血ってすぐにわかったんだ。
慌ててソニア怪我してるの?ソニア大丈夫なの!?って聞いたんだ。
ソニアはまた小さな声で、うん。って言ったんだ。
僕は急いで傷の手当しなくちゃって思って、洞窟の中は暗くてよく見えないから、ソニアを背負って外に出ることにしたんだ。
ソニアの体がいつもより軽く感じて、そしてソニアの体から垂れる血のピチャ、ピチャ、って音が、
洞窟の中で響いていたんだ。
不安になった。
だけど、ソニアは返事をしているし、ちょっとした怪我なんだって、ちょっとした怪我だって、悪いことを考えないように必死に自分に言い聞かせたんだ。
洞窟の外に出た時は、もう外も真っ暗で、月が綺麗に輝いてた。
僕はソニアを草の上に下ろしたんだ。
最初は見間違いかと思った。
だけど、何回目をこすってもさ、ソニアのお腹から血が一杯出てるんだ。
頭の中で理解できないような色んな感情とかが渦巻いてきたんだ。
だけど、血を止めなきゃって。
僕は上着を全部脱いで、ソニアの上着を捲ってさ、血を止めようとしたんだ。
そしたら、ソニアのお腹に大きな穴が何個も空いてて、そこから沢山の血が流れてたんだ。
僕ってば、分厚いコート着ててさ、背負ってるのに、こんなに血が出てるのに気づかなくて・・・。
シャツでソニアのお腹を抑えたんだけど、全然血が止まらなくて、どうしようどうしよう、誰か来てよって泣きながら、ソニア大丈夫だよ大丈夫だよって何度も叫んだんだ。
でも血が止まらないんだ。
そしたら、ソニアが血を口から垂らしながら、「うん。だいじょうぶ。」って言ってさ。
しゃべっちゃ駄目って言ってるのに、小さな声で喋り続けるんだよ。
月が綺麗だねって。
どうして祐希泣いてるのって。
ソニアを心配させちゃ駄目だって思って、泣いてないよ。
だから喋らないでって言ったんだ。
だけどソニアはそれでも話すのをやめなくて、声を出すたびに血が溢れてくるんだ。
混乱してて、慌てて、怖くて、正確には覚えてない。
だけど、ソニアは昔の話をしだしてさ。
特別な日覚えてる?って。
僕すぐには思い出せなくて、何?って言ったんだ。
そしたら、祐希にお友達になってくれたお礼をした日って言うんだ。
僕は覚えてるよ。
忘れるわけないじゃんって泣きながら答えたんだ。
そしたら、ソニアはちょっと笑いながら良かったって言って、あの時も綺麗な月だったねって。
僕はうまく言葉が出せなくて、うん、うん、って相槌しか打てなかったんだ。
それでもソニアは喋り続けて、ずっと一緒にいれなくてごめんねって言うんだ。
ソニアはわかっていたんだ。
自分が大怪我して、もう助からないってわかってたんだ。
もう僕は何て言葉を返したらいいかわからなかった。
ソニアは、もうお腹押さえなくていいって、その代わり手を握ってって言うんだ。
もうソニアは手に力が入らないみたいで、僕の手を握り返せないんだ。
手を握ってさ、目の前にいるのに、ソニアが言うんだ。
祐希、ちゃんと手にぎってる?そこにいる?って。
僕はちゃんと握ってるよ。
隣にいるよって答えたんだ。
そしたら、そっか。良かったって言ってさ。
ごめんね、ありがとうって小さな声で言った後、何も喋らなくなったんだ。
息はまだしてたんだ。
もし医者がいれば、医者じゃなくても大人が居ればソニアは助かるかもしれないんだ。
でも、僕は何も出来ないんだよ。
大切な子が、ソニア以外いなくなったり死んじゃったりして、もうソニアしかいないのに。
たった一人の大切な人なのに何も出来ないんだよ。
ソニアの息が少しずつ弱くなって、体が冷たくなっているのに、横でただ泣きながら見ているしか
出来ないんだよ。
僕は目の前で起きた現実を受け入れることが出来なかった。
やらなければいけない事は沢山あったんだ。
洞窟の中にはまだ生きている民兵の人がいたんだ。
でも僕はソニアの傍から離れる事が出来なかった。
この日まで、沢山の人に助けられて生き延びてきた。
沢山の人の、仲間の友達の犠牲の上で、生きてきたんだ。
なのに、何もお返しも出来ずに、逃げてばかりで、まだ生きている民兵の人だけでも助けなきゃいけないのに、その人たちに助けられて、今まで面倒をみてきてもらっていたのに、頭で理解してても何も行動できないんだ。
気づいたら朝になっていて、洞窟の中でまだ息のあった人たちも、皆亡くなっていた。
もう心が耐えられなかった。
情けない自分が、同じ過ちを何度も繰り返す自分が許せなかった。
それから数日間、冷たくなってるソニアや民兵と一緒に過ごしていたんだ。
でも、外に出ていた民兵の人は誰も帰ってこなくて、もう全てが終わった事に気づいた。
本当はとっくに気づいていたけど、もう現実を受け入れるほど俺の心は強くなかったんだ。
それから、少しして、俺は皆の遺体を埋めることにしたんだ。
スコップとかがないから、木の棒でひたすら彫り続けて、
全員の遺体を埋めるには数日かかった。
俺ムスリムじゃないからさ、お墓に何をすればいいかわからなかったんだ。
だから、棒を立てて、咲いていた花を移して植えるぐらいしかできなかった。
ボシュニャチの民兵の人に、辛くても生き抜けって言われたけど、もうそんな気力もなかった。
もう全てを失って、希望だとか光も何もないんだ。
その場で死のうと思って、銃を探したんだけど、銃が全部なくなってるんだ。
食料もとっくに尽き果てていて、飲まず食わずでいた僕は、もう疲れて眠くなっちゃってさ、そのままソニアを埋めた場所の前で寝たんだ。
目を覚ましたら、夢の中みたいで、どこかの家のベットに寝てたんだ。
おかしいな、これは夢なのかなってそれとも今までのが夢なのかなって思ってたんだ。
そしたら部屋の中に中年ぐらいの女の人が入ってきてさ、何か僕にいいながら、水とか食べ物をくれたんだ。
それから少しして、これが夢じゃないってわかってさ。
僕は山で倒れていた所を、スルツキの民兵に保護されて、そこから結構離れた民兵の暮らす集落に連れて来られていたんだ。
もう死にたいって思ってた僕はさ、スルツキの民兵がソニア達を撃ったんだろって、絶対に許さないって暴れたんだ。
でも、この家の奥さんや、民兵の旦那さんは悲しそうな顔しながら、自分たちはしていないって言ってさ、僕が暴れてるのに抱きしめてくるんだ。
僕は嘘つきめ、嘘つきめって叫びながら暴れたんだけど、離してくれなくてさ、寝るって言って部屋に篭ったんだ。
それから何日も、部屋にもって来てくれたご飯とかも食べないで、ずっと篭っていてさ。
そうだ、ここから逃げればいいんだって思ったんだ。
それで夜になるのを待って、窓から外に飛び出して、辺りを見渡したら、十何キロ先かわからないけど、前いた山っぽいのが見えたんだ。
僕はソニア達の所に戻らなきゃって、あそこに戻らなきゃって思って、山に向かったんだ。
途中で、道がわからなくなったりして、何とか洞窟についた時には3日以上経っていたと思う。
その後、2日くらいまた洞窟で一人過ごしていたんだ。
そしたらさ、集落の民兵の人が来たんだ。
気づいた時にはもう洞窟の入り口の所まで来ていて、逃げ場はなかった。
ああ、僕も撃たれるんだな、良かったってほっとしたんだ。
だけど、彼らは僕を撃たないんだ。
撃たないどころか、一人で何してるって怒るんだよ。
意味がわからないんだよ。
お前らスルツキは子どもでも女の人でも殺して、子どもに乱暴だってするだろって。
僕の事も同じようにしろって泣きながら叫んだんだ。
だけど、彼らはただ無言のまま僕を担いでさ、洞窟から連れ出そうとするんだよ。
嫌だ嫌だって言っても離してくれなくて、バックがバックが、だから離しせって言っても離してくれなくてさ。
バックはどれだって言うから、答えたら、俺が預かるとかいってさ、僕の事を下ろさないまま山を下ったんだ。
疲れていたのもあって、僕は途中で寝ちゃってさ、起きたらもう集落のすぐ近くまで来てたんだ。
その後、また同じ家に連れて行かれて、家に入ったら、あの二人が怒りながら僕の事をビンタしたんだ。
それから僕の事、この前よりも強く抱きしめてきて、また暴れようとしたんだけど、力が強くて暴れられなかった。
それから知ったことなんだけど、この集落の人たちは元々民兵じゃなかったんだ。
ボシュニャチの民兵に襲われて、村の女の人や男の人、子どもも何人か殺されたり連れ去られたりして、それで武装してたんだ。
僕を世話してくれた夫婦にはさ、僕よりちょっと年上ぐらいの子どもがいたんだ。
だけど、彼は襲われた時にボシュニャチの民兵の人に殺されてしまっていてさ…。
その時、漠然と皆が苦しんでるっていう感じだったものがさ、スルツキの人も苦しんでいるんだ、被害にあってるんだ、皆が辛いんだって確信に変わったんだ。
多分だけど、僕がお世話になっていたボシュニャチの民兵の人達なんだ。
この集落を襲ったのはさ。
そして同じような事を他の集落でもやっていたんだ。
中には、本当に悪い奴もいて、虐殺や暴行、性的暴行をしている人間もいるんだ。
それは否定しようがない事実なんだ。
そしてスルツキが今回の紛争で大勢のボシュニャチの人々を殺してたり、暴行したり、凌辱したのも事実なんだ。
だけど、彼らもまた、同じような被害にあってるんだ。
自分達を守る為に、家族を守る為に、お互いにお互いを殺しあってるんだ。
望んでいるのは、形は異なっていても、同じ 平和に暮らす ってことなのにさ。
でも、昔に起きた虐殺や戦争の禍根が未だに残っていて、それがお互いの理解とかそういうのを邪魔するんだ。
積もりに積もったものが、阻むんだ。
今までの歴史が、彼らに人を殺させるんだ。
やらなきゃ、やられるって思わせるんだ。
それから僕は、彼らと1年ちょっと生活した。
スルツキの人を憎む気持ちは薄れることはないんだ。
だけど、彼らにも彼らの事情があって、それを僕は否定出来ないんだよ。
否定する事が出来ないんだ。
少なくとも、全員が望んで人を殺しているわけじゃないんだ。
罪悪感とかそういうのと戦いながら、それでも殺さなきゃいけないって、それで相手を殺している人たちもいたんだ。
彼らと暮らして半年ぐらい経った頃だったと思う。
アメリカを始めとするNATOが、スルツキの勢力下の地域に爆撃を始めたって聞いた。
後で知ったけどさ、もっと前から国連として活動はしていたんだけど、遅すぎるんだよ。
もう何もかもが遅すぎるんだ。
そして彼らと暮らして大体1年2ヶ月ほど経って、1994年の12月になったんだ。
1月から停戦になるから、祐希はサラエヴォへ行って、そこから国に帰りなさいって言われたんだ。
でも、僕はもう嫌だった。
というより、これから先、全てを背負って生きていく自信がなかったんだ。
集落を出発する朝、僕を世話してくれた夫婦とか、民兵の人が集まってくれたんだ。
だけど、僕はもう無理だって、もう死にたいって思ってさ、頼んだんだ。
頼むから僕を殺してって。
痛くても我慢するから、殺してって。
大切な友達達も皆いなくなってしまったのに、生きていても辛いって言ったんだよ。
そしたら、周りの兵士たちも、お世話をしてくれた二人も悲しそうな、少し困ったような顔したんだ。
そしてお互いに見つめあいながら、何かを早口でいってさ、僕を取り囲んだんだ。
僕はソニア達に、もうすぐそっちに行くよって、心の中で呟いた。
やっと終われるって思ったんだ。
だけどさ、彼らは僕に何かをするわけでもなく、歌を歌いだしたんだ。
何が起きたかわからなかった。
違う国の言葉だし、意味もわからなかったんだ。
意味を知ったのは、日本に帰って数年してからっだ。
歌詞はね、
I see trees of green, red roses too
I see them bloom, for me and you
And I think to myself, what a wonderful world
I see skies of blue, and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world
The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces, of people going by
I see friends shaking hands, sayin' "how do you do?"
They're really sayin' "I love you"
I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more, than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes I think to myself, what a wonderful world
Woo yeah
日本語に訳すと、
青々とした木々、そして真っ赤に咲くバラが見える
僕と君のために、咲き誇っているよ
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。
青い空、そして真っ白な雲が見えるよ
光り輝く日が訪れ、夜がやってくる
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。
美しい虹が、大空に架かっている
道を行き交うみんなの顔も輝かせているよ
人々は「元気かい?」と手を振りながら握手をしているよ
皆心の中で「愛しているよ」と言っているんだ
赤ちゃんの鳴き声を聞き、その成長を見守るんだ
この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう
そして僕は思うんだ、「なんて素晴らしい世界だろう」って。
そう、僕は思うんだ。「なんて素晴らしい世界だろう」って。
この歌はさ、今の戦争の世界が素晴らしいって言ってるんじゃないんだ。
きっと、世界は素晴らしくなるんだ。
そう皆が願い、思えば、素晴らしい世界になるんだって意味なんだ。
愛でね。
皆、好きで殺してるわけじゃないんだ。
そうしないと自分達の仲間が子どもが殺されてしまうからなんだ。
そして、相手も同じなんだ。
それをお互いにわかっているんだよ。
わかっているのに、止められないんだ。
泣きながら歌ってるんだ。
ボシュニャチやフルヴァツキを殺した民兵たちが泣きながらさ。
彼らは好きで殺してるわけじゃないんだ。
そしてそれが許されない行為だと知っているんだ。
知っていながら、どうすることも出来ないんだ。
お互いにね・・・。
この時、英語が理解できていれば、彼らに何か言えたかも知れない。
でも、当時の僕には何の歌かわからなかったんだ。
悲しい歌なのかと思った。
平和を願う歌とは知らなかったんだ。
その後、僕はサラエヴォまで連れて行かれてさ、解放される時に手紙を貰ったんだ。
その手紙の内容は、ちょっと長いから要約するけど、
人生は不公平だ。
一生平穏に暮らす者もいれば、一生紛争や貧困に喘ぐ者もいる。
だけど、人生には、神様が皆にチャンスをくれるんだ。
学校やお父さん、お母さん、大人や友人、彼らは何度でも君にチャンスを与えるんだ。
それを活かすかどうかは、君次第なんだよ。
小さな贈りものになるけれど、私は君に生きるチャンスを与えよう。
強く優しく、そして誠実に人生を全うしなさい。
そして、素晴らしい世界を作りなさい。
子どもが笑いながら育つ世界を。
君達子どもに託そう。
素晴らしい世界を。
こんな感じの内容なんだ。
その後、1995年1月から4ヶ月の停戦が結ばれて、僕は首都で再会した父と共に、オーストリアに向かい、後に日本に帰ってきた。
結局、この一連のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結するのは、僕達がこの国から脱出した10ヶ月後の事だった。
1995年7月、安全地帯となっていたスレブレニツァが包囲され占領されたんだ。
多くのボシュニャチが処刑、強姦、拷問され、生き残った中から一部の女性は解放されたけれど、男性は殆どが順次処刑されていった。
殺されたのは、大人、子ども、男女、老若女男問わず虐殺されたんだ。
犠牲者は、8000人を超えていて、未だに身元がわからない人も多く居る。
もし、サラエヴォから脱出できなければ、僕らはそこにいたかもしれない。
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