風人 2014-11-30 06:00:58 |
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『アクアマリンの神殿』はいかにも学園小説というエンディングは好感。
謎めいた『輝天炎上』よりはよりラノベぽい。
学生時代の付き合いは永遠のセピア色。
佐々木アツシ、かつては癌患者であり冷凍睡眠のスリーパーそして冷凍睡眠の監視者。それでいてなおかつ学生という。
『桜宮サーガ』シリーズのなかで多難な人生を送っているひとり。
だけど困難を乗り越える術を西野さん如月翔子などまわりの人物が教え説く。西野さんのやり方は少々厳しいと思うが“平凡な人生”から外れたひとはふつうに生きられない宿命。
だけどあたまでっかちなままだと世界にいられなくなる。
『神殿』の物語内で書かれる学園生活がいかに大切な存在か知らされる。
夏美と野麦という対照的なヒロイン。
なにげに地味な野麦がアツシから見ればしたたかというのもおもしろい。人を見た目で判断してはならない教訓みたいな子。
むしろ野麦の方が化け物なのでは?というニュアンスがわずかにあるとしたらどうだろう。
野麦に近いヒロインといえば氷姫こと姫宮香織が近い感じする……。
フィクションではあるが『肖像』『輝天炎上』の美智おばあさんは癌にも関わらず適切な治療法はなかったにせよ田口先生の不定愁訴外来で診てもらうことで愚痴を言い続けたことで物語のなかで天命をまっとうしたといえる。
不定愁訴外来の愚痴が長く命を長らえさせたといえる。
今夜の『ホンマでっか!?』のストレス解消法で愚痴を言うあるいは伝えるのは健全で身体にいい行為ということでしょう。
頭が良くてもそこに現実や人間の感情や気持ちが伴わないと結局はひとりになりいずれは世界から受け入れられずに化け物になるということでしょう。
そんな危険を『沈黙』の牧村瑞人、『神殿』の佐々木アツシは内に持ってたということになる。
だけど両者ともに周囲の大人たちに支えられ守られてたことで道を踏み外すことはなかった。
だけど実際には『沈黙』においては牧村瑞人は自分で罪をひとり背負おうとしてた。
いま思うとこの場面は彼が化け物になろうとする瞬間だったんでしょう。浜田小夜が驚く場面はふつうの人間が持つ感情の瞬間。
だけどそれを白鳥さんと田口先生がふたりで事件を解明したことで彼が化け物になることはなかった。
『神殿』のアツシにしても涼子が眠る地下室でひとり悩み葛藤する姿はひとりの人間の在るべき姿。十代の少年にはあり得ない姿でもあるけど彼にはふつうのひとにはないモノを得ている。
同時にふつうのひとが持っている存在もまたある。
4Sエージェンシーの牧村瑞人、医学生として飛び級する佐々木アツシ。
それぞれ生きる道はちがっても世のため人のためという志、信念は変わらない。
あたまがいいことも含めて人より先に大人になることが果たして本当にいいことか悪いことか。
田口先生は『輝天炎上』では城崎さんに知らないところでバカにされた表現はされてるけどそれはある意味においてふつうな証しと思う。
田口先生はふつうに他人のことがわかるからふつうでいられるし内面や本質が変わらない人物。
ふつうでいることで突出した“何か”は潜在的にはあるかもしれないがふつうだからこそ多くの患者や人物たちと接することができる。
白鳥さんは厚労省のはみ出し者ではあるけど官僚という枠組みから見れば若手官僚のひとりであることにかわりない。
ただ厚労省や霞ヶ関を内部から破壊するおそれがある危険人物とされる。だからある程度は厚労省という組織にいながらもいつ組織の外に出されても構わずまた戻ってくる可能性や処世術を得ているはず。
白鳥さんに限ってはふつうや常識の枠にとらわれないように作品中ではなっている。
速水先生や彦根先生にしても医療に関わる限りは組織からは離れない。それは他の先生や看護師などもおなじ。
だけど患者であった牧村瑞人、佐々木アツシは数奇な運命を辿ることになる。
またオレンジ病棟で亡くなったヒロインたちも。
あたまがいい人は多少は厳しくても相手にちゃんと適切に言葉を伝える義務はある。受け取った側は考える必要がある。
『アクアマリンの神殿』は医療小説の一面はあるが大半は学園小説。
いかに学生の時期が大切だったか思い知る。
それでも多感な青春期に感じたことは大人になっても心は覚えている。
現実においても佐々木アツシほどにひねくれないまでもあの時期は世の中を斜めから見てしまう。
だけどそこで道を踏み外せば誰もが“化け物”になってしまうのではないかと思う。
『螺鈿迷宮』で自らの過去を知った天馬大吉。だけ彼には別宮葉子という幼馴染みがいて常に見守っていたおり『輝天炎上』では落第生から脱出しようととりあえずまじめになっている。
『神殿』の佐々木アツシも物語のどこかで間違えてたら東城医大や桜宮市を通して世界を恨むようになったかもしれない。
現代社会ではそういう危険を誰もがひそかに持っていて危ういところに立っているのかもしれない。
あたまがよくても知恵を使わない知識のかたまりにしてはいけないという警告はあるのかもしれない。
知識は知恵というあたまを使ってこそ生かされる。そこに良心が存在しないと暴走し“化け物”になってしまう。
けっこう『神殿』が凄い内容だったと伝わってる感じする。
『桜宮サーガ』シリーズを読んで思うのはひととの別れはせつない。
『アクアマリンの神殿』で亡くなった桂奈だけどその後、お葬式などで北原野麦は別れを告げることができたんでしょうか。
『神殿』は涼子の覚醒を問うことはしながらも覚醒自体の場面は書かれてない。先に記した桂奈についても亡くなった直後の場面はあるがお葬式などはない。
海堂尊先生のことだからわざと書かなかった旨と思われる。
もしくは『神殿』そのものには要らなかったと判断される。
桂奈と野麦については別の物語で語ることができそうなくらい『神殿』では触れられていない。たぶん別の物語があると思う。
ただ涼子について覚醒してかつてのアツシ同様に不定愁訴外来かそれに近い環境で精神ケアをし再び生きていけるかはこれはなんともいえない。
『桜宮サーガ』はまだあちこち空白ないし余白がある物語だから人物が入る隙間はある作品。
解決してない諸問題についてはおそらく何らかの形で別世界で補填や補完されるはず。
“個人情報保護法は死者には適用されない”
『アリアドネの弾丸』の白鳥さんの言葉。
『桜宮サーガ』のシリーズを読むといろいろ知らないことをわかりやすく書かれ伝わる。
だけどいまの時代は法律で守られている反面、法律でがんじがらめな点もある。
昭和時代やバブル時代と多くの面が異なる。
どちらがよかったかといえばむかしの方がよかったかもしれない。
現代みたいに情報過多ではないしストレスにしてもネットはない時代ですからネットなどによるストレスはない時代。
今週の『ホンマでっか!?』でも現代はむかしにはないストレスが多すぎると言われてた。
だけどいずれ冷凍睡眠(コールドスリープ)が実用化されれば法律は必要となり被験者の人権保護、精神ケアもまた必要。
『モルフェウスの領域』後半で書かれた佐々木アツシの覚醒後の治療やケアは作品中では比較的ゆるやかかつ一方では東城医大側が研究テーマとすることで被験者たるアツシを守るように先手を打った。
これからの時代は未知なることが多いようにもなにかしらのニュアンスは感じた。
冷凍睡眠(コールドスリープ)、これがひとりの人間あるいは人類にとって光りとなるか影になるか。それが疑問に思う。
田口先生が次期病院長に選ばれたわけ。
単純に消去法をしていけば現代を描いていた『田口白鳥シリーズ』の東城医大の人物表や人間関係を見ていけば田口先生しか病院長になれる人物がいなかったのが正直なところでは。
黒崎教授、藤原看護師そして高階病院長(後に学長)はいずれ東城医大から去る人物なのは明らか。
エシックスの沼田先生を病院長にすると経営の一途は縮小していきいずれは袋小路に入り結局は東城医大が無くなる可能性がある。
速水先生は経済感覚がなし、島津先生はがんがん魔人のあだ名を持ちある程度は慕われる傾向はあるものの経済感覚や病院経営について如何なるほどか疑問の余地が残る。
『箱庭』においても調査された先生方にしてもいささか閉鎖的環境は否定できない。
『栄光』当時の不定愁訴外来がいささか目立たない存在にしても患者からは好評、もしかしたらある程度は経済的数字を上げ東城医大に利益を与えた可能性もある。
またなにより院内政治に物語当初は無関係であったというポジション。
上昇志向や大学病院への敬愛などはやや薄いものの組織に害悪をなすわけではない。
それらを考えていけば速水先生、島津先生、沼田先生よりは次期病院長として適任だったのではと頷けもしない。
大学病院が存続できある程度は市や街に貢献できる程度がささやかなしあわせとしたら田口先生が不定愁訴外来をやるように大学病院が経営できたらそれは人々や街のしあわせになるということ。
結論をいえばそんな感じ。
高階病院長の真意は不明ですが、他に真意はあるかもしれませんが表面はそんな感じに取れる。
Ai(画像診断)でも間違いはあるということ。
いくら機械が優秀でも人間の側が精査しなくては患者の生命は救えない。
世の中がだんだんむずかしくなっていく。
本当に西野昌孝は涼子さんの記憶除去をのぞんだとはいささか思えない。
なんだかんだでアツシと共に彼女の冷凍睡眠を見守り未来科学センターを東城医大にまかせていたわけだし。
どうでもいいなら冷凍睡眠の四年の間に何処かへいくこともできたと思う。だけど彼はそれをしなかった。
西野昌孝もこの人も彦根先生同様に虚実を巧みに使うことで真実の姿をぼかしてしまう。
それに後半ど西野昌孝があらためて記憶除去を問う場面。
これは被験者の人生を大きく左右するもの。
記憶を除去し別人になることは国に都合はいいし新たな戸籍を作れる。
が、冷凍睡眠前の人生を否定することができるかどうか。
アツシは冷凍睡眠をしたことでご両親に見放され孤独になってしまった。
冷凍睡眠前の人生を子どもは無くしたに等しい。治療に病気は治ったものの代償は大きく重たい。なおかつ心に傷を残す。
アツシが若干の歪みや世の中をひねくれた見方をするが彼が極端に世の中を恨まなかったのは西野昌孝の采配、如月翔子や桂奈の存在、田口先生の心のケアあってのこと。
それを真摯に受け止め自分で考え悩んでいたら化け物にならずに物語は終えた。
誰しもが“化け物”になる危険をはらんでいるのが世の中。
地方や田舎でも高齢者の健康のためAi(画像診断)は導入されている。
『極北ラプソディ』の神威島のような状況が全国どこも過疎化や医師がいない現状があるからでしょう。
若い医者や医師は戸惑いはおぼえるだろうし土地に慣れないといけない苦労はあると思う。
だけどそれら時間や会話が解決してくれる。
感謝の言葉は時に土地の食材や土地の話題だったり田舎ならではの環境もある。
NHKでAi(画像診断)が田舎で役に立つのは治療への道。
長寿社会がいまの時代にいいかどうかは疑問はある。
少子高齢化の時代。
また『桜宮サーガ』シリーズの物語を読むと患者の延命処置が是か非か。たまにドラマなどでも話題になる。
延命処置をのぞむひともいればのぞまないひともいる。
『輝天炎上』で患者が亡くなる場面においての田口先生と天馬大吉のそれぞれの言葉や感じ方はたぶん誰もが疑問に思ったり考えることと思う。
どちらも正しくどちらも何かしらの間違いに近いニュアンスはあると思う。
医療に絶対的な思想はないのかもしれない。
あくまで海堂尊先生が作品を通して訴えていることは理想のひとつ。
物語のなかで主人公たちは難題や事件を解決しながら毎日を生きていく。
田口先生にしても高階先生に無理難題を押しつけられながら自らグチる始末。愚痴外来の先生自らぼやく(笑)。
Ai(オートプシー・イメージング)やドクターヘリなどはいくつかは『桜宮サーガ』世界と現実が重なっている。
だけどそれでもまだまだと思う。海堂先生の理想の到達点はおそらく我々には見えない。
断片的なパズルのピースは各作品に散らばっているはずだけど。
医療庁などにしてもひとつの理想であり思想。だからといって絶対的な存在かといえばそうでもないと思う。
大学病院という存在にしても白い巨塔のなかで多くのひとたちが行き交いみなそれぞれの理想の医療や未来を目指す。
『神殿』の時代において藤原看護師は去ったみたいだけど他の人物はどうされたのか。
速水先生は東城医大に復帰されたのか島津先生は相変わらず放射線科医かエシックスの沼田先生は相変わらず権力を振るっているのか。
その辺の内情はわからずじまい。
白鳥さんや彦根先生たち、桜宮市警との関係は?
なぞがのこる。
『桜宮サーガ』シリーズを読むと癌患者であった人物たちは病のなか戦い悩み葛藤し日々生きてるのが伝わる。
現実も同じかそれ以上と思う。
私の叔父も癌になったと聞いて誰にでも起こりうることなんだと実感する。
いまの時代にはむかしにはないストレスや病が多くあると思う。
現代社会が複雑かつ生きにくい世の中。
『モルフェウス』や『アクアマリン』を読むと冷凍睡眠(コールドスリープ)によって未来に希望もあるが同時に冷凍睡眠後に法律をはじめとして目にみえない現実が無数にある。
病が治療できたとしてもその先がみえない世の中。見えるようにするために患者の心のケアや治療が必要でもある。
薬に頼らないで風邪を治すのは実に至難。
とはいえ薬も必ずしも身体にいいモノではないというのは『桜宮サーガ』世界では半ば通例。
現代医療では薬は必須。幕末医療モノの『JIN-仁--』でもペニシリンがあるとないとではまたちがう。
『桜宮サーガ』では薬は半ば身体に良くないものとして伝えている点もある。
現代医療は何かと弊害もあるのも現実。
ふつうに薬だってアレルギーや副作用がないわけでないのも現実。
現代になって医者も患者もアレルギー、副作用を気にしてしまう世の中になった。
『肖像』で田口先生と患者が薬についての話がありましたが物語流れそのものからいえばたぶんに無関係。
だけどおそらく著者である海堂尊先生からしたら無関係にしたくなかったのではないでしょうか。
あと一般人がネットからの知識を現実のお医者さまに向けないようにしてくださいと暗黙の配慮としてメッセージとして込めたと考えた方が気持ちいいと思う。
患者が(ネットからの)よけいな知識で物言いをすれば当然、医者としては不愉快。また医者と患者の信頼関係に齟齬をきたす。
患者が神経質やデリケートになり過ぎるのも現代医療の問題のひとつ。
『桜宮サーガ』のシリーズを読んで思うのはどの立場になって読むかそして現代にお医者さまの世話になる時に信頼関係が成り立つか否か。
けっこう『桜宮サーガ』のシリーズもいろいろなメッセージが込められている。
『桜宮サーガ』シリーズは内容が豊富。
『モルフェウスの領域』『アクアマリンの神殿』のような冷凍睡眠(コールド・スリープ)がもし現実に実行されたらどうなるんでしょう。
被験者が病気を将来や未来に治療できるにしても時の流れは被験者を浦島太郎にしてしまう。
『領域』後半のアツシ少年はまさにそれ。
両親は親権を放棄し自分が知る人たちも限られる。
また睡眠学習により頭はよくなっていることは『領域』ではよきことのように描写されているが『神殿』では頭がよくなったことが普通の生活を送れない一部弊害になっている。
西野さんが厳しく接したのはアツシくんを社会の化け物や犯罪者にしないためにあえて厳しく言い諭したと思う。
頭よくなったのが睡眠学習の結果としてそれを含めて人生のなかで為さねばならないこと。
冷凍睡眠、睡眠学習は『領域』『神殿』ともにいずれは現実で使われた場合に被験者がいかなる人生を送るかという課題。
社会はその責任を担わなくてはならない。
アツシくんが『神殿』の時代には東城医大には足が遠のいてはいたけど彼にとっての人生の原点や布石でもあった。
頭がよくなっても『ハイパーマン・バッカス』が好きな少年の気持ちが原点でもあった。
この辺の描写は海堂先生の人物にたいしてのやさしさでしょう。
母の知り合いのお見舞いで市内の病院をたずねたが近年の病院は綺麗。
『桜宮サーガ』内でも東城医大はシリーズが進むごとに設備や施設が整っていく。一部サリーと呼ばれる新棟やAiセンターなどは紆余曲折あり頓挫する。
かたや『極北シリーズ』は市長の意向によりトイレは様式に改修されるが『ラプソディ』時期は人員削減もあり閑散としている。
大学病院と地域病院の違いもある。
だけど母の知り合いは元気にしてたようでなにより。
病院内が明るいし若い職員さんが24時間いるのも心の負担にならないと思う。
癌と戦うのは並大抵ではないと思う。
抗がん剤を用いたり他に転移しないように手術治療を繰り返したり。
『桜宮サーガ』内でもたびたび人物たちを苦しめる最大の病気のひとつ。
『ナイチンゲールの沈黙』で幼い子どもでも癌になるという物語。
癌となった主人公の牧村瑞人と彼を慕う佐々木アツシ少年。
それぞれ異なる手術や経緯で癌治療をおこない別の物語であらためて出てくるけどまたその後の人生に悩む。
大人でも癌に苦しむが幼い子どもだとまたなおさら苦しむ。
なぜこのような病が存在するのか。
『ランクA病院の愉悦』収録の「ガンコロリン」はコメディとしても実際に癌を治す治療薬ができてもさらに強い癌が出てくるというオチはある種の警鐘にも思える。
人間がある病気を治す特効薬をつくっても時を経てある病気はまた強くなるイタチごっこ。
癌を治療したいのは人類の夢。だけど癌手術をする医者が将来いなくなってしまいのも弊害。
「ガンコロリン」は癌を取り上げているけどたぶん他の病気にも言えることと思う。
海堂先生はコメディに仕上げてるけどいろいろな警鐘が含まれてると思いたい。
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