匿名ゆき 2014-11-23 17:15:10 |
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八月二十一日 日記
昨日は午後一時から午後十時頃まで数学の個別指導をしていた.夏期講習期間には通常授業で担当している生徒二人の他に,もう一人だけ教えることになっている.普段教えている二人は中学三年生と高専一年生,夏期講習に顔を出している生徒は中学三年生.前者二人とはそれなりにコミュニケーションが取れているのだが,後者に関しては全くと言っていいほど会話が成り立たない.ここでの僕の役割は数学を教えること以前に,生徒一人一人の主体性に耳を傾け,意思を尊重することにあるのだと思っている.だからこそ,この現状を打破するための案を考えているのだが,どうにも思いつかない.壁中にびっしりと貼られている合格者数を大きく書いたポスターが笑っているような気がする.狂気的でない空間など殆ど存在しないとはいえ,ここよりはましだと思える場所ぐらいいくらでもあるだろう.日頃面倒を見ている中三生の授業を終え,一息吐こうと校舎の玄関に向かった僕は人通りの悪そうな薄暗い細道に沿って歩き出した.
午後三時.気が付くと前方に鳥居が見えてきた.境界を潜った先で八幡社の旗が微風に揺らめいているのが分かる.蒸し暑く,じめっとした大気が頬に纏わりついてくる.緑を貫いて流れる透明な風の壁が僕に体当たりしたとき,クラゲの様な実体のない僕など一瞬で吹き飛んでしまえばいいのに,と思った.標高の高い場所はここよりも涼しい風が吹いているのだろうな.きっと,僕の体は何処までも浮上して,地上から離れた空中で窒息死する.星になった暁には破裂したクラゲの傘を一本手に取って,緩やかに青々とした深海へ沈んでいきたい.何処までも深く潜った先で僕はリュウグウノツカイの背に乗って,月まで届く塔の内部を貫いていくんだ.月の光が流れている….ピアノの幻想的な音色が水中に溶けている.深く,深く,群青に染まる….しかし僕を乗せた深海魚は突然風に変わり,再び木々を貫いて僕を降ろしてしまった.いま,僕は風に打たれた自分が空中に浮かんでいくのを眺めている.このまま惚けていたら自分と鉢合わせてしまうのだろうか.死ぬのは嫌だ.殺すのも嫌だ.僕は僕の中から消えたふりをして生きていこう.透明になろう.あぁ,だから僕は僕より先にここに来ているはずの自分たちの姿を捉えることができないのか.何だか以前より自分の体が軽くなっているような気がした.思ったより時間が経っていたみたいだ.参拝に来た人々も境内を一周して戻ってきていた.後生短そうな老婆の鼻をすする音.その老婆の背中に暖かい手を差し伸べる中年の男.錆びついた時間がブロック塀に張り付けられている.誰も手を差し伸べてはくれない.僕も戻ろう….
午後三時四十五分.重い足取りで校舎へ歩き出していた.信号が変わるのを待っていると前方右側にドラッグストアがあるのを見付けた.次の授業は五時からだから,まだ寄り道するぐらいの時間は残されているだろう.みぞおちを締め付ける焦燥感を抱えながら店内の薬棚の方へ向かった.目的の品の前で立ち止まり,手に取っては離して,少し遠くの飲料水コーナーを眺めに行き,再び商品を手に取っている.そんなことを繰り返しながら,これから担当する中学三年生のことを思い出していた.協調性がなければ攻撃性もなく,主体性も矜持もあまり持ち合わせていないように見える生徒.計算過程を省略しないように何度お願いしても,何故か省略してしまう.分からなければ「分からない」と言ってくれて大丈夫だからね,と語りかけても無言のまま時間が過ぎてしまう.敵意など微塵も含まないように細心の注意を払いながら簡単な質問をしても,一瞬体を震わせて黙り込んでしまう.そのたびに彼の精神を傷つけているのではないか心配になる.
ふと,僕にも同じような経験があったのを思い出した.高校二年の範囲の数学を塾で教わっている時間,予習復習もせず問題の意味すら分からないのに出席だけはしていた頃の記憶.出席していたのも純粋に理解したいからではなく,きっと,受験勉強をしている集団の中から溢れ落ちるのが恥ずかしかったから.定着しなかった原因が自身にあることはよく分かっているが,それでもこの時の担当講師A川はとても恐ろしい存在だった.A川は生徒たちに精神論で数学を解かせるような講師だった.ここでいう精神論とは,数式や図形に美的感覚を見出すといった数学の精神領域を語るものではなく,本気になれば数学は理解できる,というような一種の根性論に近いものである.A川の授業で唯一役立ったと思えたのは三角方程式の解の個数を求める問題の解法を教わったときだけで,それ以外では独自の訳の分からない発想を延々と聞かされ続けた.解けないときは決まって本気ではないからだと言い続け,教室は常に緊張していた記憶がある.今思えば受験数学ですらなかったと思う.どれだけ一部の人間に効率が良かろうが,生徒を置き去りにする授業展開をする気はない.
受験までにはきっと間に合わない.だから僕に出来ることは受験対策ではなく,分からないことが分かるようになっていくあの喜びを体験してもらうことである.与えられた中三生用の問題には触れず,今は小学五年生の簡単な計算から確認している.分からなければ分かるところまで戻ろう.分からないところが分からなければ,分かりそうなところを一緒に探そう.何処までも戻っていこう.研究は孤独でも,勉強が孤独だというのは嘘だ.
ただ,先生は魔法使いでもなければ,革命的に他人の人生を変えるほどの力も持ち合わせていない.ちょっとだけ人生に刺激を与えることが出来るかもしれないだけなんだ.僕は見覚えのある薬に手を伸ばし,窓の向こうで降り注いでいる大雨が止むのをほんの少しだけ期待した.
午後四時四十五分.騒めき立っていた僕の精神が青色の雫に変わり,それが等間隔で透明な液体の中へ沈んでいく.絵の具のように拡散しながら液体全体を染めていく.窓の向こう側で轟いていたはずの雷鳴も収まっていた.騒めきの存在は感じる.感じるがそれを優しく包み込んでくれるような安らぎがあった.頭に入ってこなかった数学書の内容がすっと入ってくる.数式の伝えたがっている内容や,内包している思想が流れ込んでくる.後はただ縫合していくだけでよかった.ミシンで一つの衣服を縫い上げるときのように,完成形への接近を夢見るだけでよかった.蝙蝠傘との不意な出会い.落ち着きを取り戻した僕は次の授業に向けて準備を始めた.
午後七時.中三生の授業を終えて一息.室内が他の個別指導者の声でうるさくなってきたので再び校舎の外へ.口笛を吹きながら近場の自販機で大好きな天然水を購入する.私の喉を潤す天然水.私が恋焦がれている存在の好んでいる天然水.いくら私の心が青色に純化されようとも,辺り一面の人間が液体に溶け込もうとも,誰にも融け込まず決して見失わない程に群青色な彼女.初めて世界で二人きりになったと思った去年の三月の出来事を思い出していた.観覧車を降りた私たちはウォーター・アトラクションで少しだけ距離を置きながら揺れる水面を眺めていた.彼女を物質的に見る必要はなかった,というのは言い訳に過ぎず,実際は彼女の方に顔を向けるのが照れ臭かったのだ.お酒を飲んで少しだけ緊張が解れた感覚.お互いの言葉だけが月の下で融けていく感覚があった.私は一体いつまで「君」と呼び続けなければならないのだろう,と思った日もあった.遠くの場所で咲いている孤高な百合の花.私は彼女との逢瀬のたびに命の灯火が強く揺らめくのを感じていた.この身が焼き焦げてしまうほどに常日頃僕の脳内を震わせ続ける彼女の遠くを見つめる視線….気が付けば七時半,次の授業の時間だった.
午後九時半.高専生は授業の進みが早く,一年の段階で既に三角関数まで学び始めている.数学ではなく物理の授業ではベクトルの概念まで導入しているという.将来は情報系を専攻するようなので,出来る限り嘘を教えないようにすることを心掛けている.一年生は将来設計までに猶予があるから教えている分には気楽だ.大学に編入するにせよ,そのまま高専を出るにせよ,今の時期はがむしゃらに挑み続けていてもいいような気がする.級友とプログラミングでドローンを浮かせて遊んでいるらしく,話を聞いているだけでも微笑ましい.誰か,一緒に何か始めないか.少人数で集ってワイワイしながら怪しいことをするのはなかなか楽しい.別に技術的なことでなくても,何でも良い.一時期大学の庭にミステリーサークルを作るのを考えたりもしたが,流石に軽犯罪になりそうなのでやめた.
夜,布団に潜るとやっぱり少し落ち着いていられる.眠れそうな気配さえ感じるのはプラシーボ効果だろうか.書けなくなってきたので,今日の日記はここまで.
旅:信念,確信から確証への切符
『群集』という題の短編がある.
この物語は一人の青年が交通事故に遭遇したところから始まる.
辛うじて一命を取り留めた青年に,すかさず足音が迫ってくる.
それは群れを成し,まるで彼を閉じ込めるかのような檻を形成してしまった.
彼はその檻の中で,凄惨たる状況にも関わらず冷静に人の集う,その素早さに気を取られていた.
『何故彼らはこんなに早く集まって来られたのだろうか?』
もちろん野次馬精神に煩わしさを感じている心理描写もある.
自身が危機的状況に置かれている状態で,他人に一方的に覗かれ続けるのは不快なことだろう….
救急車に運ばれ事なきを得た彼は,数日間ベッドの上で眠り続けていた.
目を覚ました後も群集に不可解さを覚えていた彼は,恥ずかしながらも主治医に対して自分の思考を打ち明けた.
記憶違いかもしれないとは話すものの,明晰な彼が病院おくりにされる前に捉えたものは,事実であれば確かに不可解なものだと言えるもの―事故で大破した自動車の車輪が止まっていないのにも関わらず,彼の周りには既に何人も集まっていた(=)―だった.
物語の結末については,ここでは差し控えるが,私の興味を強く惹きつけているのはこの物語の終着点ではなく,彼の中に生じた疑念を確実なものに仕上げようとする彼の精神にある.
二週間後,彼は再び交通事故の瞬間に出くわすのだが,腕時計の秒針を確認しながら群集の構成されるまでの時間を計測する強迫的な姿には,ある種の人々の心を惹きつける魅力がある.
執念を持つ人間の行動には,熱意を持って物事に取り組む人間に似たものがある.
共通点は「確信」である.
信念ともいえるものかもしれない.
この物語の筆者はレイ・ブラッドベリという小説家なのだが,彼はエドガー・アラン・ポーから強い影響を受けている.
後継者である,とまでいわれているぐらいだ.
確かに『群集』の主人公とポーの物語の主人公やポー自身の思想を比べてみても,共通要素が多く見つかる.
冷静な狂気.狂気の自覚.
『構成の原理』というポーの詩論がある.
これは文学的創作においてどういったものが必要になるかを論考したものである.
これがなかなか面白い.
『大鴉』という有名な詩が,いったいどのように作られたかを作者自身でまとめたものなのだが,恐ろしいまでに論理的な過程を見せつけられ,高揚する精神を隠し切れず一人で笑ってしまった.
構造主義的思想がいたる所から窺える.
詩の形式的構造が詩の意味や精神性を決定する,とまで言い切る彼の,詩以外の物語を読んでみると分かる.
冗長性を徹底的に廃し,不必要な情報が全く入り込んでこない文章に美しさを感じてしまう.
無意味に空間の細部を描くことなく,必要最低限の基本的な道具のみで登場人物を引き立てていく彼の文体は,数学的阿片と呼ばれるに相応しいのだろう.
冗長性のある物語とはどういったものか,自分なりに考えてみた.
例えば,ある街から別の街へと移る際,前者の街が再利用されない限りは冗長性があるといえるかもしれない.
それは読み手に街の存在を『記憶』させてしまうからだ.
街の再利用を究極的に突き詰めると,それは結局一つの街,一つの空間だけで良い,ということになる.
その街だけで全てを始め,全てを終えれば良い.
固有名詞なども必要ないのかもしれない.
物語において名前が重要になるのは名前を使ったギミックが存在する場合のみで,特別名前を付ける必要はない.
『記憶』にこだわるとすれば,出来る限り登場人物を少なくするべきだろう.
この点から考えてみても,個を規定する情報についての補足など殆ど必要ない.
しかしポーの物語を読んでみると登場人物の個を強く際立たせているものがある.
それも,大量に登場させている….
「推理小説」は彼に最も適したスタイルだっただろう.
この場合,特出した個を見せびらかすことは,粛々と少数で世界を広げるよりも効果的であるのだと判断したのだと推察でき,彼は効果的な演出を促すためならば必要なだけ道具を公理として追加する手法を取っているのだといえる.
実際,彼は物語の終盤から書き始めるのだから,足りなくなれば後から足せば良いだけだった.
私たちが彼らの物語に惹かれるのは,確証に至るまでの信念や執着を抱く姿に自身を重ねようとするからであって,その内容や結果は本質ではないような気がする.
物語の内容ではなく,この場合やはり形式に惹かれているのだろう.
目的地に着くまでが楽しいと思える,旅や山登りのようなものである.
しかし,それを知っている筆者たちは山の頂上から流れる川を追うように文を追加していく.
海から山の頂上に向かうよりも自然に行えることは明らかだろう.
帰りの切符を買う際には,彼らの思考過程を思い出してみようかな.
BUGTRONICA
BUGTRONICAはスマートフォン向けのアプリで
バグった世界を徘徊するゲームなんだ。
キミはバグってしまっていて
むし を倒して右へ進まなくちゃいけない。
なんだかとってもこわいけど、だいじょうぶ。
きっといいことがあるよ。
元気がない人がやってくれたらうれしいな。
【レビュー】
暖かい。優しいとは異なる。
私が暖かいという言葉を使うとき、その言葉の指しているものに近い何かがここにはあったよ。
Le Dernier Homme
いま,私は何処に向かって歩いているのだろう.あらゆる実在への個人的見解を率直に述べる勇気を喪失しそうな人間が一人.感情を排した,狂気的なほどに説明的な文を書き連ね,自己の不在に由来する空間の静寂を俯瞰し続けることが一つの使命として与えられる感覚.これは当初存在した使命感(No.146)とは異なるものである.しかし,もう少しだけ個人的見解を述べることが許されていそうな気もしている.
>>自分にさよならを告げることのできる場所を探し求めて歩いている,散歩とはそういうものである.
私は私が私の中に不在であると仮定する.次に,私は私が私の中に不在であることを証明することを考える.それは私自身によって成し遂げられうるものなのだろうか.私には分からないが,私は私のことについて再び記述してみたいと思う.
おそらく,私は私の中の部屋の中に固定電話が置かれているのを見つける.おそらく,私は私に電話をかけてみる.そのとき私は電話をかけ続けている.ならば私は電話をかけられ続けている.私は留守電を設定しているような気がする.私は私に書置きを,メッセージを残し続ける.それは数式の横にその数式を認識した瞬間に生じた感情を記すように,自然に.私は私へ書いたはずの書置きを,メッセージを撤回し続ける.それは美しい夕陽の出現や消失の気配に心を縛られ,使命感を前に殉じようとするように,自然に.
私は私から電話がかかることはない.ならば,私は私に電話をかけることはない,ということになる.ならば,私は私の中の部屋の中に固定電話を見つけることができないのかもしれない.(これだけで私が私の中に不在であることを証明できたわけではない.)だったら,私は私の中の部屋の中に公衆電話ボックスぐらいは見つけたい.以降,私の中にこの箱が定義されているものとする.私はあの薄暗い箱を見つけると些か不安になると同時に,思い出のグラスが割れて,そのとき初めて現れる破片の反射光,その反射光が誘発させる偽りのない涙の透明感,そういったものを見出している.深夜二時の公園,普段明滅しているはずの箱の中の蛍光灯が大人しくなる時間,私はベンチに座りながら眠気と肩を組んでいる.離散的集合体が微睡む意識の中で連続的だが非統一的な実在として現前する.誰もが見て見ぬふりをする時間,固体と流体の中間領域,粉粒体が風に乗って私に到達し,癖になってしまうほど心地よい摩耗感を私に与え,私を攫ってしまう.やがて私は不在になり,公園は再び静寂を取り戻すことになるだろう.枯れ葉の騒めき,風に靡いたブランコの鎖の軋む音,遠くから聞こえる救急車のサイレン.初期値に鋭敏な世界から私という変数項が消失し,私は構造と独立する.
このようなことを考えるとき,私はいつも自身の物理的な死についても考えている.不在になるとは死ぬことを指すのだろうか?とにかく私は不在でなくてはいけないような気がするのは確かだ.しかし何に対して?最近読んだ本の中に次の文を見つけた.
>>私はその瞬間に私の思考を集中した,そして私たちのあいだに真のかかわりはなかったにもかかわらず,私は自分が,たぶん一個の生きた存在にふさわしかったであろうような期待とか,用心とか,疑いとか,親密さとか,孤独などによってそれと結ばれていると感ずる空間の印象を抱いた――その生きた存在とは,人間存在か? いや,まだ人間ではなく,よりいっそうむき出しに晒され,より保護されていず,それでいていっそう重要かついっそう現実的な存在だ.だがこの空間が私にとって異質のものであったように,私を結び付けているものは私にとって未知であった.私はただ単に自分がそれに敬意を払わねばならぬと知っていた,いやそのことさえ,私は知らなかったのだ,ほかでもない,私はたぶんそれに敬意の荒々しい不在を払わねばならなかったからだ.
≪私たち≫
>>私としては,どんな対価を払われようともこの言葉の動揺を利用すべきではなく,その言葉に加担すべきものでもない,という感情.だが私は,軽やかさの幻影にひしと寄り添って,陶酔の狭小な頂上に身を保っていた,苦痛の歓喜の感情を抑制して,かつそれを抑制しないで.それは軽やかで,喜ばしく,奇跡的な軽やかさであり,聞こえるというよりはおのずと見え,きらきら光る球体で,自らの表面と混じり合い,絶えず成長し,その成長の中にも静かな球体だった.いささかも混乱してなどいない言葉の動揺だ,――"それ"が黙すとき,"それ"は黙しているのではない.私は自分を"それ"と区別でき,"それ"のなかに自分の言うことを聞きつつも"それ"の言うことを聞くことだけができるのだった,"それ"ははてしない言葉であっていつも≪私たち≫と言っていた.
>>この言葉からほとばしっていた一種陶酔めいたものは,この≪私たち≫から由来しており,その≪私たち≫は私からほとばしり,空間がそこに閉じ込められはじめていた部屋のはるかかなたで,私をして,私がその起点をあそこ,どこか海のほうに位置させていたあの合唱の中に自分を聞くことを余儀なくさせているのだ.
>>あそこにこそ私たちはみないるのだった,私たちの合一という孤独のなかに直立して,そして私たちの言うところのものは私たちがあるところのものを絶えずほめたたえているのだった.
>>≪私たち≫――は避難所である.
壁
>>なぜおまえはぼくに信じさせておくのか,もしぼくがそう欲すれば,おまえが目に見えるものになりうるだろうなどと?なぜおまえは,ぼくのすべての人たちから隔てる.親密さの言葉のかずかずでもってぼくがおまえに話しかけるにまかせておくのか?おまえはぼくを保護しているとでもいうのか?ぼくを監視しているとでもいうのか?なぜおまえはぼくを意気阻喪させないのか?それは容易だろうに,なにか或る合図,もっと確固とした圧力,そうすればぼくはすぐにもこう言うだろうに――「よかろう,おまえがそう望むのだ,ぼくはあきらめるよ」と.だがおまえはただそこにいるだけだ,そしておまえのところまでいく言葉は壁に向かっていくことになり,その壁がそれらの言葉を,僕がそれを聞くようにぼくに送り返してくる.壁,ほんものの壁なのだ,ぼくの住まいを限り,それを一個の小房に,万人のただなかにおける一つの空虚にしている四つの壁だ.なぜか?ぼくが演じるべき役割はなになのか?ぼくはなにを期待されているのか?ぼくは静寂のなかに入っている,入ってしまっていたのではないか?いったいなにがぼくを静寂から引きずり出したのか?いったい静寂は破壊されうるであろうか?そしてなぜ,それが破壊されたならば,ぼくたちはそれのまわりに,ぼくたちが思い出せないあの瞬間,あの冷たい刻を見守り続けるのだろうか?それに,すべての人たちが見守っているというのはほんとうだろうか?たぶんたった一人だけが,たぶんだれも,たぶんぼくたちはなにものをも見守っていず,たぶんぼくたちはみないまだに静寂のふところに抱かれているのだ,ぼくたちが絶えず行き来するあそこに,つねにいっそう不安定に,いっそうもじもじと落ちつきなく,だがそれでいて,それは深い憩の呼吸であるのだ.
忘却,死,永遠
>>思い出すことと死ぬことが――たぶん死んでいることが――一致するような一瞬がつねにあると.それは同じ一つの動きであるだろう.純粋な,方向のない思い出であり,そこではすべてが思い出と化す.記憶から死ぬためにはそれを自由に手に入れることができさえすればよい大いなる力.だが自由に手に入れられえぬ力だ.そのとき自己に向かって想起するためのうまくゆかない試み,しりぞき,忘却を前にしてのしりぞき,そして思い出す死を前にしてのしりぞき.
これらをまとめて,とはいえ抽象的な要約なのだが,私は次のような心象を抱いた.
不在でなくてはならない理由:≪私たち≫の高尚さに安寧を求める集団を,無遠慮に傷つけうるから.
何故傷つけてしまうのか:ある種の個人が≪私たち≫を前にしたとき後述する壁が現れるから.
壁とは何か:実在性の不透明さがもたらす分離の象徴であると同時に,強い誘引力をもつ,相反する性質を兼ね備えた生物的な概念.
不在でなくても構わない場合はないか:≪私たち≫からは不在であることを望まれるが,壁をもつ個人間ならば不在であることに固執しなくて構わないかもしれない.
忘却:見ることと話すことの中にある.見ること,話すことを忘れること.話すこと,汲み切れなかった=忘却された言葉を汲み切ること.自身が忘れられていること,自身が忘れていることを整理する.また,同一化幻想,永遠の憧憬=幸福の幻影に対する反抗.
私にとって不在は死を意味するものではないかもしれない.不在という形式も他人との距離感として認められる日は来るのだろうか.
※モーリス・ブランショ「Le Dernier Homme」「L'Attente, l'oubli」より引用.
新着メッセージが一件
よかったら,(散らばった)僕(のどれか)と友達になってください.
あなた方が呼べば僕はそこに現れます.
関わりたくないときは関わらなくていいです,僕もそうだからね.
一方向からただひたすら,暗号めいた文章を発信し続けているのは,そういう意図があるからです.
あなた方も終域の定義されていない写像を持っているのであれば,不特定多数に暗号を発信してください.
そのような終域に,たぶん,私がいます.
いつか,音楽の話をしようよ.
不明
君はこの先を読まないでほしい
君を大事にしたい気持ちは本当なんです
君にだけ読んでほしくないことがここに書かれている
君にだけには読まれたくないから、僕は書かなければいけない
君だけが特別であることを示すために、僕はここで君だけを省かなくてはいけない
例の本について、僕は急げとも慌てるなとも言えないし、ただその時を待つぐらいしか権利がない、いや、正確には何の権利も持っていない
待ちたいとも、待つ気なんてさらさらないとも言えない
僕の言及が君と例の本が不自然に接近してしまう、または不自然に離れてしまう、つまり自身が干渉してしまうことが僕はとても怖い
君は僕がこのような回りくどい話し方をするとき、君と何か他の存在の間に生まれる何かが、僕という存在によって、僕の言及の存在しない世界、本来的なものが不自然なものになってしまうかもしれないという恐怖を感じないのだろうか
君は自他の境界がはっきりしているように見える、だから平気なのかもしれない
他人の意見は他人の意見だと思えるかもしれない
自分が例の本について一切言及できないというこの報告すら、一種の言及であり、僅かにでも影響を与えてしまうかもしれない
僕は君が例の本を読まずにいるのが怖い
僕は君が例の本を読んでしまうのが怖い
このどちらが起きるのか知りたくないから、僕は今ここで完全に消え去りたいと思うぐらいだ
僕は読み終えたかもしれない
僕は読み終えていないかもしれない
僕は冒頭しか読んでいないかもしれない
僕は最後の一文を読んだかもしれない
僕は何も読んでいないかもしれない
君にとってはっきりしていることは、僕は君の前で最初の一文を朗読した、これだけだと考えるかもしれない
しかしこれは君にとって、本当にはっきりしていることだろうか
僕は嘘をついて、その文をでっちあげたかもしれない
僕はここでこの文を書くのが飽きてきた
僕は飽きていない
僕が何処まで嘘をついていて、何処からが本当のことなのか探ったりしなくていい
僕はただ、対消滅させる必要があると思う
そして対消滅させる必要があるという言葉をここに書いた瞬間から、その必要はないといい始める
僕は結局君に謝り続けてしまう、ごめんなさい
ここには本の内容が書かれていたかもしれないし、書かれていないかもしれない
君がこの最後の一文を見ていないことを願いたい
No.88 音楽ゲーム考察 追記
あれから5年経ち、数多くの楽曲が追加された。
依然として私は私からプログレという音楽ジャンルを切り離すことに失敗し続けているが、この長い年月で様々な楽曲に触れてきたので、追記を試みてみようと思う。
まず、「音楽ゲームと私」という一対一の関係が崩れ、「音楽ゲーム、ユーザー、私」という構図が生まれた。
ここではユーザーという冷たい言い方をしているが、これはもっと狭くいえば音楽ゲームを遊ぶ友人のことである。
受験期には殆ど誰とも関わることなく一人で熱中していた私も、大学に入るとすぐに友人ができ、金銭面での困難はあったけれども度々一緒にゲームセンターへ遊びに行くようになった。
好きな曲を繰り返し遊びがちであった私には、彼らの好みの楽曲の中に私が遊ぶことのなかったであろう好みの曲調の楽曲を探すのが楽しみだった。
彼らからすればお金が無いのに着いてきて鬱陶しい場合もあったかもしれない。
しかし、お金の無い私の事情を気遣って、あまり高額そうなお店を避けてくれるのを見ていると申し訳ない気持ちでいっぱいになり、二年次にとうとう人生初のバイトを始めた。
人生経験を豊かにしようという目的はなく、彼らと遊べる十分なお金と、個人的関心を潤してくれる書物や、大きな計算機が欲しいというのが背景にあった。
この年、私は再びポップンミュージックを始めた。
知らない楽曲も結構増えていたが、元の地力に戻るまでにはそう時間はかからなかった。
しかし、元の地力より少し上手くなった程度で切り上げ、今度は一番難しいとされている弐寺という機種を遊び始めた。
この弐寺という機種には、パソコン上で動くBMSという無料のシミュレータが存在しており、私は5年前このシミュレータをよく使っていた。
私の関わっていたサークルでも弐寺を遊んでいる人間が多かったが、私は少し遊ぶのを躊躇っていた。
というのも、BMSはキーボードをデバイスとして用いることを強制し、ゲームセンターに置いてある筐体とは全く違う環境でやらなければならなかったからだ。
皿曲と呼ばれる楽曲群はキーボードで遊ぶことが出来ず、ゲームセンターでしか遊ぶことができなかった。
皿曲が人並みに出来るまでには1年以上もかかった。
諦めない心と計画を立てることが大事です。
この皿曲と呼ばれるものから紹介しようかな。
散歩
精一杯。
比較、比較、比較、比較、比較、比較、比較。
人、車、金、語、流れ。
流れているだけ、流れの構成要素としての私達。
ある文の解釈が文脈に依存⇔影響するように、ある単語の解釈が言語体系に依存⇔影響するように、ある人間の解釈はすべての人間に依存⇔影響する。
誰も彼も記号的で、思考は記号に即して行われ、そこに内包物の存在なんて信じなくなるか、盲目的になるか、どちらかしかないじゃないか。
曖昧な領域は存在を許されず、全てが白黒はっきりしないと、しかし白いといえば黒い、黒いといえば白い、わからない。
認識に誤りはつきもので、誤り続けてしまう私は存在を許されない。
許されない存在は人と一緒には暮らせない。
一人不要という感覚。
私は不要でなくてはいけなかった。
誰からも余分であると、そう思われるように仕向けなければいけなかった。
だから私は必死に誤り続ける、いらないと言われなければならない。
私は存在しないものの味方です、不在でなければならないものの味方です。
早く、ここから消えなくてはいけない。
なんてうまく人っぽくやってこれたのだろう、いままで。
分からないよ、壊してまでなにをしたかったか。
誰の目にも映らないか、誰の視界にも存在する透明なものになるかしないといけない。
さようなら。
どうして僕はこうも自己中心的なのでしょうか.
形式や構造,概念という言葉にこだわり続け,目の前にいる人々をあまり真正面から見ることがなかったと思います.
自分が他人と比べて特別尊い,というような意識はなく,寧ろ外界からの重圧や期待に押しつぶされてしまうのではないか,という不安が私を掻き立てていることがあったのは事実です.
望まれる自分であるため,そんなことのために僕は君を利用,とまでは言わないものの,傷つけてしまったことは間違いないです.
確かに,一人で過ごす時間のなかでは,自己が拡充されていく心地良さはあります.
けれど,難解なものごとを解釈して蓄えたところで,君が見えるようになるわけではありません.
知覚の扉を開いているような人,卓越した表現力をもつ人,容姿端麗な人.
君の周りの人や語る人々には,僕にないものを持っていました.
僕はそれほど自己評価が高くないので,焦りを感じていました.
透き通った目でそれらを見つけ,見出す君自身にも,君が語る人々にも嫉妬していたのかもしれません.
君に見出されたい,という意識が過剰に膨れ上がってしまい,少しだけ音楽を始めてはやめ,絵を描いてみてはやめ….
僕は唯一の取り柄であると自負している有限体の構造を応用した技術である符号理論を,それを専攻している人並み以上に理解しなければならない,と焦っていました.
僕は自分が嫉妬していることすら,昨年の冬頃まで君に対してあまり明らかにしていませんでした.
男の嫉妬は君からみれば気持ち悪いのだろうという意識と,束縛的な態度は君を疲弊させてしまうだろうという意識から,常にこらえ続けていました.
好きだと言えなかったのは,恥ずかしさや,断られることに怯えていたからでした.
君との会話は,言葉の表面だけ取り出せば棘のあることもありましたが,あまり人の寄り付かない森林のなか,公園に置かれた長い滑り台を滑り抜けながら風を切るような心地良さがありました.
たとえ鎌鼬が頬を切っても,あたりの葉が木枯らしに乗って僕の前に降り注ぎ,傷口を塞ぐかのような.
夜,雨嵐のなか,素朴に咲いている百合の花,咲き誇っているわけではないが,明るすぎず暗すぎず.
辺りには誰もいないけれど,どうしても僕の目にはとまってしまった.
そのとき僕の懐中電灯は君を照らしていて,周りは真っ暗な煙に包まれていた.
気が付いたときには,僕の手元は君のほうだけを向くようになっていた.
僕はこんなことが言いたいわけじゃないんだ.
僕はただ,初めて会ったときから理知的で可愛らしい人だと思っていたことだとか,何かとちょっかいをかけてくるけど,その全部が楽しかったことだとか,実際京都に行ってしまったらきっと物凄くへこんでいたであろうこととか,緊張と君が前にいることの嬉しさをごまかしながら秋葉原を巡ったり…廃墟探索は本当に楽しかったんだ,行く前からずっと楽しみにしていた.
僕は君を独り占めしたくてしょうがないのだと思う,ずっと前からそうだったのだと思う.
遠く離れていることや専攻が違うことで,独り占めできないことが,僕にはとても苦しかった.
君はとても魅力的な人だから,それだけ僕は不安でした.
遠くにいるのだから仕方ない,ということを,必死に自分に言い聞かせるように,君の前でも悔やむような言い方をしていました.
もっとそばがよかった.
君のことは僕が支えていきたい,僕は君のことしか好きになれません,君のことが一番好きです.
美しいから好きなんだ 唯一性 涙
美しさと孤独は表裏一体
けれど美しさを目論んだ孤独ではなく
どこまでも純粋
好きとファンの違いを考える日々
仮想住宅で同居しているとして
君が風邪で寝込んでいるのにライブに行く感覚
死んでしまえばいいのに 僕なんか
好きなら
大事にすることは 傷付けないことだよ
そう言わせてから 手遅れだと思い知る
最悪な人間です 君のことが好きな僕は
全部全部壊して君に会いに行ったら
壊すための関係性を作って壊して壊して
でも涙が流れない 君の前ではあんなに流れたのに
新しくなって君に会いたい 精神の整形
※「もしも」なんて 聞きたくないから さようなら
不可逆な変化 やり直したい
だめ 子供だから同じ事を繰返すかもしれない
もっと もっと早く
「ひとりの人」として見ることについて
ちゃんと考えていれば
好きだから の後に続く言葉も行為も
ほとんどが自分のわがままばっかりだった
不可逆な変化のあとは
自分の不安を和らげるための君の消費
力ずく 疲れさせてしまった
好きなら という言葉
背理法的に使われることが多かった
僕は変だ 気が違っている
~だから好き
いっぱいある それはいっぱいある
苦しくなってきた殺してほしい
好きで好きで好きででも僕は間違っていて
間違っている僕は存在しちゃいけないから
僕は君じゃないと無理だ
君からも 自分からも逃げ出してしまった
見返すのが恐ろしくて ずっと 蓋をしてる
自分のことしか考えることができなくなっていたときに書いたものが 怖い
頑張って開いてみたけれど なかった言葉にしたい言葉ばかり
なかったことにしたくないこといっぱいあるのに
ごめんなさい
○○○ために、睡眠薬、抗うつ剤を飲んでいる親友の変わっていく様子を見るのは、悲しい。
(何のためなのかは私には分からない、正確には。
逃れる、耐える、適応する、生きる。
仮にそうだとして、それは何のためだろうか?
彼に「復讐心」と話させるこの社会が、私は嫌いだ。
また、彼は私に、君がいるからと話してくれるが、私が明日もこの世に生きている保証はどこにもない。
個人の生死が他人の存在に依存してはならない、人間はすべて孤独のままに死ぬ。
…私の存在が彼を生に繋ぎ止め続けている、私が彼を苦しめているのか?
自分のために生きられなくなりつつある彼のそばで、自意識過剰な罪悪感に苛まれている。
ああ、私は厭な人間だ。)
そして、私は彼の表層しか、人間の表層しか見ていなかったのだと痛感させられる。
普段話される言葉の殆どは、話者にとって意味を持たないかもしれないのだ、と認識を改めなくてはならない。
しかし、話者の内面を映すような言葉は、話者にしか解決できない問題を含んでいる。
優しすぎる彼はそのことを理解した上で、他人に迷惑をかけないよう一人で抑え込み続けてきたのだろう。
私は彼が戻れなくなってしまったら、とてもつらい。
服用後の変容する知覚に戸惑い、叫び声をあげながら激情に身を擲つ彼を抱擁し、人生はどうにもならないことばかりなのだと話す私は、言葉の無意味さを知りながら嘯く。
君の存在に何度も助けられているのだと話す私は、存在の希薄さを知りながら涙声で伝える。
とても、死なないでほしいだなんて、無責任で無配慮なことは言えなかった。
それほどに親友なのだと思う。
私は厭な人間だ。
断片
精神は脆く、漠然とした不安を被曝し続けると容易に崩壊する。崩壊した精神はストレスに対して免疫を失い、些細な一言や出来事によって自己を見失う軌道を歩かされるようになる。人間が崩壊していく様子を見るのは、いつだって寂しい。
冷たい心で人と接していると、優しいねと言われる機会が増えた。優しくなんてないんだよ。君達の知らない僕は最悪の人間なんだから。もう誰も傷付かないように自分の周囲に球状のバリアを張っているだけ。
「これ以上は僕に近付かないで下さい、僕は一人がいいんです。」
自意識から多少身軽になった心身で歩いていると、この世界の殆ど全ては「手遅れ」になるために存在しているのだと思い始めた。「手遅れ」になるかもしれないと理解していながら、高い志向性を抱いている人間は素敵だと思う。僕は不条理への反抗を実践する人々が好きだ。
ごめんね。
世界には、綺麗な言葉を紡ぐ人がいる、趣味嗜好の合う人がいる、人間的に尊敬できる人がいる。今もそんな人たちと会話しながら過ごしている。けれど、ずっと一緒にいたいとは思えない。ファン、なのだと思う。
僕は夜の帰り道に、少し意地悪なことを言いながら転ばせようとしてきた君、突然走り出しておいかけっこを始める君、苦手だというのに覗き込んでくる君が好きで、誰よりも可愛いんだ。
一人になって君の言葉を反芻していると、泣いてしまう。ごめんなさい。
日常の連続に対し発狂する彼と、それをみて萎縮し罪悪感に駈られる彼の大事な人
関係に名前という皹を入れ両者緩やかに壊れていく
僕には何の約束も保証もできない
関係つまり距離はいつだって二者間で定まるのだから
一方が寄ればもう一方は離れ、その逆もまたしかり
大切な人たちが壊れていく様子をそばで見つめ続けるのは苦しい、苦しいけれどこれ以上僕には何もできない
これ以上介入しちゃいけない、止められない、思考の操作はできない
人は手遅れになるために歩いている、手遅れになってやっと不安もなくなるのだから
精神的にはもうずっと孤独、けれどそろそろ物理的にも孤独になってしまうかもしれない
一人になるのはいいんだ、僕の天命な気がするから
僕は人と一緒に足を並べて歩いていくことができない、悲しいけれどもそれはきっと事実
そんな僕が気を付けるべきは、自分の寂しさで人を引き留めないこと
泣きそうな気分に蓋をして、遠く離れた地平から届きますようにと言葉を綴る
……ただ好きなだけ、この好きは何も特別な力を持ってはいない
夜空に浮かぶ星を眺めて、ふっと好きだなぁ…と思うとき、その星を打ち落として手中に収めるみたいな、そんな感情はもうない
つよい言葉をいっぱい言ってしまってごめんなさい
何もいらないけれど、諦めでもない
死んで星に生まれ変われるなら、君の星の近くの星だけに生まれ変わりたい、そんな好き
君も、無理はしないでほしい…
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