鯨 2014-07-18 09:05:48 |
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私の身内にも鬱病の者がおりますが、残念ながら根性を叩き直すことでは治らないようです。
鬱のような症状、鬱病になりやすい気質というのはあるでしょうが、やはり鬱病は脳内物質のセロトニン不足、薬でしか治りません。
ただ、物の考え方も変えるように言われることから、性格、性質も決して無関係ではない…
精神の病は複雑ですね。
でも専門的な本って高い!厚い!w
あーそれでも「脳の中の幽霊」とか「分かっているけどできない脳」とか「脳には妙なクセがある」…という本は読んでみたい
>22
複雑ですよねぇ
>身内の鬱病を、根性を叩き直すことで治したって人の話
私はこれ、たまたまの成功例じゃないかと思うんですよ。一般化できない方法というか…たまたま色んな偶然が重なって上手く病気が寛解したのではと。
他の病気でも、普通の治療法で治らないこと、普通じゃないことをして治ることもあるはずです
医療現場における治療とは…あくまで「なるべく低リスクで、なるべく多くの人が良くなる」方法に過ぎないのではないかと思います
ですから、たまたま誰かに効いた方法を普遍的なものと思い込むのは違うと思います
よって先の「根性で治した」という例があったからと言って「鬱病なんて根性で治る!薬なんていらねぇ!心の…甘えの問題なんだ!」と結論付けるのは早計ではないかと思います
さてますます境界線が???w
自己診断ですが躁鬱のような状態を経験しました。
その経験から言うと性格やものの考え方というのは
やはり大きく関係していると思います。
その意味ではたとえば誰かが『鬱は甘えだ』と言ったりするのも
間違ってはいないような気がします。
ほんの少し見方や考え方を変えるだけでいいんです。
ほんの少し違うだけなんです。
しかし、いわゆる『病んでる』状態にある人に対して
ただ単純に考え方を変えろと、
こうしろああしろと言ったところで
たいして変わりません。
変えられないんです。分かっていてもできない。
だからこそ病気と言われるのかもしれません。
しかしこれこそが健全である人が『甘えである』
と論ずる点でもあるのでしょう。
『分かっているならできるはずでしょ?』
という理屈です。
はっきり言って言い返せません。
できるはずなんですよ…
そしてまた
『鬱だから仕方ない』と論ずる側はこれを理由にして
『できないからこそ病気と呼ばれるのだ』と主張し、
『甘えである』と論ずる側は
『できるはずなら、やらないだけではないのか』と主張する…
結局ですね…どちらも正しいのですよ…。
私はそう思います。
ここでまた『では健康な人の甘えとどう違うのか』
という疑問が湧くと思いますが
それについてもまた後で書かせていただきたいと思います。
匿名さん
>分かっていてもできない
これ、キーワードじゃないかなって思うんですよ~。
コメントありがとうございます!続きの投稿、期待していますね…!全裸待機w
今日、自己虐待という言葉を知りました。
文字通り、自分を虐待すること…自傷行為に限らず「あれが悪い」「ここが駄目だ」と過度に自分を責める行為…みたいのことらしいです。どうやら
鬱病の人に多い言動「申し訳ない」とか「私が悪い」…これも自己虐待なんでしょうかね。加害妄想とかも聞きますね
できない理由が分からない、ということも多々あります
「考えれば分かるでしょ」
「分からないというのは逃げでしょ」
「分からないのは考えてないからでしょ」
「分からないなら分かるまで考えるのが普通でしょ」
「考えないのはやる気がないからでしょ」
「楽したいだけなんでしょ」
「逃げてるだけでしょ」
「甘ったれているだけでしょ」
さぁて…言い返させないw
病気なの?障害なの?
何を加味しても甘えなの?w
分かりません
己を責めるのではなく、前向きにひたむきに、明るく前へ進む道を考えたいですね
やる気がないって言葉は、これまた解釈が難しいですよ…社会は度々それ自体を「甘え」と称している気がしますが
自我を残したまま
他人の思考を体験してみたいなw←
クルーザー物語…あれは面白かった。でも世の中は、常識を尊重する。くどくどした理屈はお呼びでない←
健康な人の甘えと鬱による無気力…
いったいどうちがうのか。
結論から言うとたいして変わらないと思います。
夏休みの宿題を最終日までやらないのと
本質的な部分では何も変わらないです。
『わかっていてもできない。』
やはりキーワードですね(笑)
大きく違う点は鬱は不安や後ろ向きな気持ちが多く伴うことでしょうか…。
蛍さんが言っていた、薬が必要な部分ですね。
しかしこれもやはり性格によるところがあり、
一概に健康な人との線引きはできません。
後ろ向きになりやすい性格、個性とも言えるからです。
几帳面で真面目な人に多いとも聞きます。
理想通りにいかなかったときに自分を責めたりして
後ろ向きになってしまう訳です。まさしく自己虐待。
このあたりの話は主さんも分かっていると思いますが。
主さんが疑問に思うように、やはり境界線を取るのは難しいですね。
ですが、少し結論を逃げるならば、
その線を引くのも人間である以上
本来ならばもともと境界など存在しないのでしょう。
だからこそ、私の結論は
『たいして変わらない』です。
これだけ語っておいて拍子抜けですよね、すみません。
でも私はどこか、それで納得してしまっています。
>私の結論は 『たいして変わらない』です。
私、思うんですけどね、常連さんの「たいして変わらない」と、スパルタ主義者の「怠けは甘え」は違うと思うんですよ。でも似たものなんですよ。しかし、まったく違う…!
すみません、これじゃ何言ってるか分からないですよねw;
固定観念…
これもキーワードかナ?
スパルタ主義者は叱咤しても良くならない相手に憤慨すると思います。でも、匿名さんはそんなことしなさそう
1つ話をすっ飛ばして、脈絡なく意見を述べさせて貰うなら…
つまるところ、私は「一般で言うところの常識」ってやつが嫌い、好きじゃない
だって私自身がそれを常識として馴染めないんですもん←
>>28
まさしく自己虐待気質ですね…私(笑)
『申し訳ない』も『私が悪い』も口癖のように…(笑)
>>己を責めるのではなく、前向きにひたむきに、明るく前へ進む道を考えたい
ひたむきに前をみるというのは難しいですね…。
無理とは言いたくないですが
やはり自己虐待気質はなかなか抜けません。
でも誰か一人でも自分を認めてくれる存在が居ると
すごく力が湧いてきます。
ノロケみたいになっちゃいますが
はっきり言って私はパートナーが居ないとダメダメです…。
>>33-34
早く着てください(笑)
ていうか脱がないでください(笑)
まぁなんとなく気持ちは伝わりました(笑)
>>35
常識や普通って言葉自体
固定観念とも言えますよね…。
普通や常識って何って話ですから。
あえて普通って言葉をつかうなら
私は普通でないので普通でない道を歩みます(笑)
そのことに周りはいろいろということもありますが
私はもう気にしなくなりました。
夏は暑いし…服なんて…w
>でも誰か一人でも自分を認めてくれる存在が居ると
これ、すっっごく大事なことだと思います。なんでなんでしょうね。
具体的な解決策の提示とかそんなものなくても…「分かってくれてる」って人がいると強くなれる気がします
>私は普通でないので普通でない道を歩みます
良いですね。私もそれができたらなw;
普通の道は舗装されていて歩きやすそうだけど、靴がないと駄目なんですよね。足が痛くなっちゃうんですよ。
だから、砂浜歩きたいって思うんですが、それもまたちょっと大変なんですよねw 道標もないし、舗装路歩いてる人からは白い目をされてしまいそうだしw;
>普通や常識って何って話ですから。
何?って思わず「そうだよね」「そういうもんなんだね」「ああ常識だよね」って受け入れられる人が所謂“普通の人”なんですかね
でも、多くの普通の人にも、大人の言うことを何?って思っていた子供時代とかありそうですよね
むむむ…
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