シンジ 2012-12-30 17:18:57 |
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失って分かる!
つまり当たり前の事が無くなって
初めて気付く事って多いね!
毎日、幸せだと良い事あっても
感動したりしないけど不幸せなら
少しでも良い事あれば
凄く嬉しいものだ!
シンジ、現代人は簡単に自殺をする
辛い事があって
それでも強く生きて行く人だって居る。
生きた先に死はある
それに至るその道のりを知らねば…
深いなぁ!
何故、死を選ぶ?
上を見れば自分より幸せな奴は
沢山、居る。
下をみれば自分より不幸な奴も
沢山、居る!
自分がこの世で1番不幸だと
思うから辛いんだ。
大丈夫だよ!
生きてればそこを抜け出せる。
まぁー私も分かるよ、その辛さ!!!
様々な意見の交わり
意見の交換は面白い
現実の見方が豊かになり、その関心が湧くと言うもの
ただ、「交換は『良い』」でなく『面白い』と表現したのは、交わりは縁(えにし)であり、吉凶があるためです。良いとは限らない
様々な現実の見方がある
例えば
林檎があるとする
この林檎に包丁で一刺しする
この林檎の状態を何と表現する?
林檎が半分になった
林檎が半分に割れた
林檎が二つになった
林檎が切れた
現実は一つなのに人の心を通せば、こうも色鮮やかでわないか
ただ、此れ故に人付き合いの誤解事は絶えない
意見の交わりは教養の養成であり楽しみだ
孔子曰く
「性相近し、習相遠し」
現実を敬愛す
ここに在る我が存在は一つの現実也、この心・精神は一つの現象也。
自身こそ一つの真理也
「人間は小宇宙・真理は己の内にある」の所以也
現実の否定は或いは自身の拒否也
現象の否定は或いは自身の精神の拒否也
この現実あって初めて我在りを悟るべし
変化刺激の現象が心豊かに楽しませるを感謝すべし
何故死を選ぶ?生きる理由、手応えを失った時だと思う
生きる使命
我が子の為に、大切な人の為に
やりたい事に全霊をそそぎ邁進したい
大事を果たす為
TVのドキュメンタリーでは逆境を乗り越えた人々の人生談話があるが、その秘訣は述べた様なものがあった
苦しみに耐えてでも得たい物がある。苦しみも忘れて熱中する。その時生命は覚醒する
その逆が自殺と考える
すなわち、生きる価値理由喜びが無い。苦に耐える理由、苦を忘れる事が出来ない
負が積もり自分が嫌になっていく。その人結末
録画番組を視聴中
金スマ ゴールデンボンバーのデビュー話
凡才が世に通る
考えさせられる。政治学を連想するのは流石に変なか
ゴールデンボンバーに関しては、「馬鹿」という魅力が秘訣か
政治の影
スキル・キャリア・人気が現代政治家の合格要点の様です
才有る者、競争力の強い者、だいたいこの様な人達が集まる
政治は国を治める。それは「人を修める」事でもある
先程の人柄を伺いまするに、彼らを「強者」とも言える
強者は弱者の存在にどれだけの理解を深められるのだろうか?
強者と弱者
この二者を人工数比較したならば、どちらの人種が多いのだろうか?
弱者が圧倒的に多いと思われる
富める者は貧粗な者の生活をどれだけ理解出来るか
強者は弱者を理解し受け入れるのは難しいと思う
となると現代政治家(強者)は国民(弱者)の気持ちや大切さに理解が浅そうです
でなくば現代の人材教育の関心の浅さは無い
矛盾だらけの厳しさ
ならば、弱さを知っている弱者が政権を掴めば政は治まるのか?
否、「衣食足りて礼節を知る」、貧粗で弱いのでは様々な人間を受け入れる寛大さに欠ける。
俗人は「受け入れられない現実」がある。自分より優れた人に嫉妬して拒否したり、フィーリングの違う存在を受け入れられなかったりする。
そして、人間には長所短所がある
寛大な人は人付き合いに於いて良い。しかし緊張感に欠けて、情の深さは競争力に欠けがち。政には小賢しい邪な悪人が少くない。争いに負けては大事を為せぬ
競争性の優れた人は、だいたいが野心持ちで我欲が強い性格で、調和性に欠けている。様々な人が集って初めて為せる政が個人好みの人選びで多様性を欠いた偏った行いになり、新たな問題を起こしかねん危険性がある
この二面性を併せ持つ人物はいるのだろうか?
或いは、この二者が手を取り合うべきなのか?
真の答えの追究は永遠に絶えない
心が通る政治
強さは大切に違いない
したがって、「強さとは?」を追究せねばならない。それも只単に「敵を排除する」だとか「自己の考えを押し通す」だとかの簡単なものではない
過去(歴史)の名君・偉人とは、その印象は「あたかも愚なるが如し」である
「その人間は一見すると意志の弱い愚か者に見えるが、人間性や私生活などの内容性がしっかりしているできた人間だ」
淡々と只目の前に在る現実を受け入れワガママが無い。自我が引っかからず真実が精神に通る。
多様な人達・現実を受け入れ、国民の徳性を養い修める。時に正義を通すため、悪を正すため勇敢に戦う
別れる心
人間の眼に映る世界は現実とは違うらしい
在る物が無かったり、余計な物が在ったり
此れは表面的な言い方をすれば「偏見」、本質的(精神・生命)に述べるならば「自己」といえる
これ故に人と人との事は尽きない
そして見える物が違うから、話が違ってそこから問題も絶えん
だから、この「己」と上手く付き合わねばならない
「己」というのが人間の醜い本質の正体です
在る物が見えないから、大切な物を粗末にしがちです
余計な物が見えるから、無駄しがちです
そんで、己を持たぬ人間はいませんから、皆違う世界にいて、人生を共有しておらない
皆自己を求めている。「他とは違う自分」とな
此れはようは「自己に閉じ籠っている」。現実に出て、此れと付き合おうとしていない
しかし、それでは人の争いは絶えず無駄も粗末も絶えん
心を一つにす
「現実を学ばねばならない」、その為に、「自己を律しなくてはならない」
自己を矯正し見えぬ物を見つけ、無駄を省く。
そして、皆が住んでいるこの世界に出会わねばならない。
そうせんと、人というものは一人では全く弱くて仲間の手を借りんと生きていけんくせに、猫もしゃくしも男も女も別れてばかりだ。
皆違う自己を持っていても、如何なる者も住む現実は同じで、ここで出会うから此れを受け入れるべし
此れを拒めば、人と人は出会わない
ここに和すれば則ち人に和する
心に現実を入れたなら、心一致せり、皆が此れを心抱きし時、これ「大和」也
己の愚かさ
己とは、「歪んでいる」と意味がある
皆、歪んでいますね。現実をあまり理解できていない。それだけではなく、現実を否定までする
この「現実」あってこそ、自分が存在して夢も妄想もみれる。この恩を忘れて妄想幻想にふけって現実を忘れる。
本当に愚かな事だ。
ヤベェーちょっとサボった!(>_<")
ごめん!
後でゆっくり読んで
私のコメ載せるからね♪
良い子で待ってろよ
シンジ(-。-)y-~
何故、人は死を選ぶのか?
確かに生きる理由や価値がない
そんな思いもあるかも知れない!
私も昔思った事があった。
死んだ方がマシだって!
でも、ふと思った。
せっかく産んでくれた親を
悲しませたくない。
私が死んだら絶対に悲しむって…
これも誰かの為にって事になるのかな?
人の世界観は人それぞれ、
争い事が絶えない。
いつの時代もそうだ!
だから、せめて自分のまわりだけでも
争いが無いようにしたい。
そう思っても理解してもらえない。
おこってしまう…
何故、許す事が出来ないのだろう?
たかが言葉されど言葉。
人によっては何にも感じないのに
その人には不快に思う。
そして同じ言葉でも
言った相手にもよる事がある。
時が解決する時と
いつまでもシコリになって残る事もある。
それはトラウマになってしまう。
そんな時はどうしたら良いか?
傷付いた心を癒すのはやっぱり人なんだ!
偏見!
そう、人はうわべでそ人の事を
思こんな奴だと込んでしまう。
ほんの一部でしかないのに。
それによって歪みあったり
憎しみあったりする。
何故理解しようとしない?
何故、偏見で罵れる?
何故、本質を見ようとしない?
何故、何故…
人は1人では生きられないのに。
私はある意味、マヒしてるのかも?
大抵の事なら許せるし
キライな人は殆ど居ない。
この人の行動理解出来ないとか
思っても嫌いまではならない。
基本、人間が好きなのだ!
あんだけ傷付けられたのに…
やっぱりマヒしてる?
でも、辛い事が多いほど
幸せを感じられる。
ほんの些細な事でも凄く幸せに思える。
それも辛い事を乗り越えたから!
「己」というものは、なんでもかんでも悪い事とは限らないですよ
だから・・・
仏教は「捨てろ」と教えるが、俺は「律する・慎み」を尊重する
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