さやたむ 2012-05-15 09:10:03 |
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誰が、正しいとかないと思います。
自分の人生は、自分のもの。
あたなの人生はあなたのもの。
好きにすればいい。
助けて欲しければ、助けを求めればいい。
人生って、難しい迷路だと思います。
どんなゴールにたどり着けるかは、分かりません。
だから、人は迷うんです。
私でよければ力にもなります。
人生沢山迷ってください。
どっかで聞いた事があると思うけど、生きるってのは死ぬまでの準備だとかなんか言ってた気がする・・思い残す事がなけりゃ死を受け入れやすいって事かな?まだ人生経験不足でようわからん
誰か作った、矛盾とかじゃなく、皆自分自身が思った事、感じた事言ってるだけなんじない?
二人ともありがとです。
身体のことですごく
悩んでました。
何回も死にたいって思って
何回も死のうとしたけど
結局死ぬことができないんです。
人はそれぞれみんな違って、
それぞれ自分の中に
たくさんの異なる個性を
秘めています。
それを若い時は出せるけれど、
だんだん出せなくなっていく人。
若いうちは全然出せてなかったけど、
年をとって周りを気にしなくなってから
出せるようになった人...。
ずっと常に自分の本当のところを
表現できるような強い人って、
なかなかいない。
身体の事でか…文を読んだ感じだといじめかな?違ってたらすまねぇ…
まぁ皆少なからずコンプレックスはあるもんさ〜駄目、無理って自分で解ってんなら特に考え込む事はないんでないかい?別の事に目を向けりゃ楽になると思われる。もがく必要はないと思われる
自分も入退院を繰り返してたから、少しくらいは気持ちわかるよぃ
まぁ気楽に行こうずぇ〜以外になんとかなるもんだってばよ
お互い頑張ろうぜ(´・ω・`)d
死ぬために苦しむんだったら
生きるのに苦しむ方がいいと思う
だって生きてたら、少しはイイことあるかもだし。
死んだら、自分も感情も何もかもわからないし、
もう二度と「自分」として存在できなくなるのって
いやじゃない?そもそも、数十億分の一の確率で生まれて
きて「自分」があって、まわりの人がいて、
今住んでるとこがあるっていう奇跡を
むだにしちゃいけない…と思う。
あくまでも僕の意見だから、
気に障ることがあったら、ゴメン。
才能とは…だれかに
見つけてもらうものでもないし、
何もしないで
そこにあるものでもない。
手間と時間とお金をかけるのが
まったく苦にならないこと、
果てしなく続くくりかえしに
耐えられること。
私たちの生活のなかで、
自分がコントロールできること、
自分の実力でできることは、
せいぜい2%ではないかと思います。
残りの98%は、いうなれば「運」です。
運とはなんでしょうか。
私は、人とのコミュニケーションから
もたらされるものを、すべて
運と呼ぶのではないかと考えています。
自分にやれることが2%しかないとしても、
その2%の部分をきちんと誠実にこなしていれば、
残りの98%を占める
他人とのコミュニケーションに、
必ずいい影響が出てきます。
「毎日同じことは」
なんて出来っこない。
良くも悪くも、だ。
昨日、あんなに良かったことが
今日、出来ない。
かと思うと、ずーっと悩んできたことが、
ある日、バカみたいに乗り越えられる。
できることの証明はできる。
やってみせさえすればいいから。
しかし、できないことの証明はできない。
1000回できなくても、証明にはならない。
1001回目で、できる可能性があるからだ。
才能が発揮されれば、
皮が剥がれるように、
外にも魅力が出てくる。
そういうものだ。
生きている。
それは、君がいて、私達がいると言う事。
何故ならば、君の描く世界は、君にしか見えない。
君の中にしか、無い。
私の世界と、君の世界は同じではない。
絶対無二の君の宇宙。
分かるかな?私は、あなたの世界に生きていたい。
君に、生きて欲しい。
生きるという事は死ぬという事です。死ぬという事もまた生きると言う事です。
生と死は表裏一体であり、どちらかが欠如することはあり得ません。
主の「矛盾した世界」というジレンマは凄く良く解ります。
現代人は生きる事に執着して死を完全否定していますよね。オカシな話です。
でも人が死ぬことなんて至極当然のことで、誰もが避けて通れぬ道です。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」の精神はどこへやら(笑)みんな生きてりゃ死ぬのに。
私はこの『死』を完全否定する世の風潮に逆行して、死に美学すら見出しています。
だって未知の領域なんですよ?ワクワクするじゃないですか。興味をそそられます。
でもそういう事を言うと、大抵の人は「不謹慎」だとか「未知だから恐い」とか言います。
でもこれも突き詰めるとオカシな話なんです。
死は未知だから恐いと・・・じゃぁあんたらが執着する『生』は未知じゃないのか?と。
人間の寿命なんてだいたい60~80年程度です。そんな刹那の間に『生』を解るはずないのです。
人類史が始まって500万年程経っても、生きることを明確に解明出来た人なんていません。
つまりは『生』も『死』も未知なのです。現代人が『生』に執着する理由は未知だとかそんなファクターではないのです。
では一体なぜ『生』に執着するのか・・・それは我欲です。
お金が欲しいだとか、美味しい物が食べたいだとか、SEXが気持ち良いだとか、そういった欲求が人を『生』に執着させるのです。
現代人は我欲によって『生』と『死』が表裏一体であることを忘れ去ってしまっています。
ここに、主の感じるジレンマの正体があるような気がします。
長くなってしまって申し訳ありませんm(__)m
私自身、先に述べたように死に美学を見出しています。死にたいと常々思い悩んでいます。
でも結局今を生きています。なぜか。
それは、焦らなくてもいずれ**るからです。
だったら今与えられた『生』の中を足掻いてみようかなって、そんな風に思って、私は生きています。
長文で本当に申し訳ありません。
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